この手紙は燃やしてください。
佐藤と私の立場の違いは理解しているつもりです。

あの後、警察に行く前
鈴木に時間をもらいコレを書いています。
乱筆や変な文になっていたらすいません

佐藤は4年前の事故で
私を気にかけてくれていたようですが
私は感謝しています。
心から。

そもそも私自身
過保護で育ち
反抗期のままに
家出をしたのが
はじまりです。

世間知らずの
身から出た
ザビなのです。

誤解が誤解を生む
生活の中で
佐藤を恨んだ事が
あったのも事実ですが
全てを知った今
私は佐藤に
感謝の気持ちでいっぱいです。

あの事故の日も
佐藤が来なければ
私は16歳で
売春婦として
売られていました。

思い出したくない事
たくさんありますが
それは私の責任です。

ひとつだけお願いがあります。
半年あれば
私は自力で
歩いています。
きっとそうなります。

祈るのではなく
イメージ
血管の血の流れ
神経から筋肉へと
佐藤が教えてくれたリハビリです。

半年後
きっと夏頃ですね。
歩いている私を少しだけ
想像してほしいのです。

佐藤の想像と
私の現実が重なった時
またあなたに会えた
気がする自分を
楽しみに。

佐藤の記憶に
少しでも残る
私は
しっかりと
立っている自分で
ありたいのです。

さようなら
お元気で。

ヒナコ

南勝久 氏作品『ザ・ファブル』の作中、ヒナコがファブル(通称名:佐藤アキラ)に宛てた手紙です。

佐藤はある組織で、幼い頃から殺し屋として育成されました。
プロとして成熟した佐藤に、組織のボスは、究極のミッション「絶対に殺してはいけない殺し屋」を課し、一般人として暮らすことを命令します。
佐藤は一般人として、いかに人を守り救えるか模索しながら日々を送ります。

ある日
佐藤は公園で、車椅子に座ったまま鉄棒に手を伸ばす少女を見かけます。
その少女は4年前に、佐藤のミッションの巻き添えで事故に遭い、車椅子を必要とする生活を余儀なくされたヒナコでした。

「歩けるようになれる」とヒナコを励まし、リハビリを施す佐藤。
ヒナコは、自分の不遇は佐藤のせいだと思い込んでいた時期もありましたが、二度にわたり窮地を救われたことから、佐藤が過去においても現在も、自分の命の恩人だったことに気付きます。

そして
別れの日
ヒナコは、車椅子を介助する鈴木の静止を振り切り
立ち上がり
佐藤を見送ります。

佐藤が最後に目にする自分の姿は
しっかりと立っている姿でありたかった。

それは
佐藤と、もう会えないことを
ヒナコが理解していたから。

想像の中で再会できることを願い
それを楽しみにして生きる
ヒナコの健気さに
私は胸が締めつけれれるような気持ちになります。

もう会えないとわかっている人にみせる最後の姿。

私たちが人生で経験する別れについて、タロットは様々なパターンをみせてくれます。
死別は、誰しも平等に訪れる別れです。

しかし
生き別れについては
「自分の意思で別れる」
「相手の意志で別れる」
「不可抗力で別れなくてはならない」
「疎遠になって自然に会わなくなる」など
そのパターンは多岐にわたります。

ヒナコの手紙からは
佐藤の立場や境遇を慮り
相手のために別れを選択したように読み取れます。

「大切な人の、何かを守るため身を引く」

大切な人が大切にしているものを、自分は守りたいという姿は
別れも愛のひとつだと
ヒナコは告げているようです。

忘れないでと
ヒナコは言いません。

それでも
佐藤が、自分を一瞬思いだすとき
強く美しい姿でありたいと思うのは
ヒナコのささやかな願いなのでしょう。

私は、ヒナコの手紙をおりに触れ
何度も読み返しています。
手紙を読むたびに
私は、何かを確認するような気持ちになります。

その何かとは
ヒナコの純真さ。

どのような過去があったとしても
どのような生業(なりわい)だったとしても
それがなければ芽生えなかった
心の持ちかた。

それは
タロットを読むうえで
私にとって
決して忘れてはならない
心の持ちかたです。

その心の持ちかたを確認するため、私は今日もヒナコの手紙を読むのです。

 

『ザ・ファブル』第13 201836日第一刷発行・著者:南勝久・発行所:株式会社講談社
映画『ザ・ファブル 殺さない殺し屋』2021618日公開・出演:岡田准一(佐藤アキラ)・平手友梨奈(佐羽ヒナコ)