「お月さまに語りかけてみるのです」

昨日のブログを読み返しながら、Tさんのお言葉を思い出しました。

ブログの中で

「私たちが『月』を見るとき
①文学的に見る
②数学的に見る
③物理的に見る
④科学的(地学的)に見る
⑤生理学的に見る
⑥音楽的に見る
⑦美術的に見る
⑧哲学的に見る
⑨心理的に見る
など、様々な見方をします」

と記述したあと
なにか足りないものを感じていました。

それは
Tさんの
「月と語りあう」でした。

Tさんは
「月光」
「朧月」
「夏の霜」
「雨雲に隠れそうな月」
「昼間に見える月」
どれも、大好きだと仰っていました。
語りかけるときは、きっと恋人に接するように、幸せな表情なのだと思われます。

しかし、一瞬、「月が返事をしてくれるのか?」と心配になったりもしたのですが、よくよく考えてみたら
タロットにこそ
『月』を擬人化させ
「お月さま」として
見たり
話したりできる描写の札が、複数枚あるのです。

ブログの添付画像
『第一から第十天まである黄道十二宮に囲まれた天球図』の右上にも、ちょっと困ったような表情の「お月さま」が描かれています。

天球図を抱えた人間は、押し潰されそうな姿勢です。
おそらく天文学の
「情報・分析・理解」は
人智で及ばないことへの
プレッシャー
ではないかと、私は想像します。

あるいは
キリスト教圏では
『天地創造』神の領域に
人間が踏み込むことへの
畏れがあったのかもしれません。

その人間の姿を見て
「お月さま」は
なにか言いたそうです。

Tさんなら
どう聞き取られるのでしょうか?

私は
「ぼんやり月を見ることが課題」
という、全然ぼんやりできない台詞が浮んできました。
課題と意識して、ぼんやりはできないものです。

あなたなら
いかがでしょうか?

あなたの『月』の見方を
聞かせてください。
それはきっと、新たな発見をもたらせてくれるでしょう。

 

写真: 第一から第十天まである黄道十二宮に囲まれた天球図(16世紀初期の木版画)