『心優しい彼は、なぜ悪の象徴となったのか?』

米映画界最高の栄誉とされる第92回アカデミー賞の発表・授賞式が
2020年2月9日(日本時間10日)、米ハリウッドのドルビーシアターで開催されました。

主演男優賞には『JOKER』のホアキン・フェニックス氏が選ばれ、「貧困」や「格差」をテーマにした作品の中で、繊細かつ大胆な表現力が高く評価されました。

米国では、上位1%の富裕層の資産は米国全体の資産の30%超えとされ、低中間所得層の不満を生み出しています。
また、世界の上位26人の富裕層が下位38億人の貧困層と同等の資産を保有していると報告もされてもいます。

貧困
障害
親の介護
虐待
差別
いじめ
孤独
厭世感
苦しい環境から抜け出そうともがく主人公・アーサーに社会は冷たく、アメリカンコミック『バットマン』に登場する最大の敵、ジョーカーへと変貌してゆく様子は、日本でも「自分の話だ」と、支持する声が上がりました。

私は、前情報も持たず、先入観なしで『JOKER』を観賞しました。
「バットマンの最大の敵」という設定から、近未来的なSF映画だと上映前は思っていました。

しかし、冒頭の、心療内科を受診しているアーサーに、カウンセラーが
「市の予算の縮小で、この公費を使ったカウンセリングは今日でおしまい」と告げるシーンから、この映画は、「今、今日も現実に起きていること」と理解でき、瞬時にアーサーの悲壮な気持ちがダイレクトに伝わってきました。

日銭を稼ぐため地道に真面目に働くアーサーに、エリート証券マンらが3人がかりで暴力を振るうシーンは、アーサーに正当防衛だったと証明する機会も与えず、格差社会を顕在的なかたちでそのまま描写しています。

『どうにもならない現実の象徴』であるアーサー。
「僕の存在は、この世界にとって何の意味もないのではないか」という、アーサーの絶望的な問いかけが、絶え間なく聞こえてくるようでした。

愛されることも
幸せになることも
生き甲斐も
居場所もない僕。
絶望とともに襲ってくるのは
人間としての根源的な恐怖。

その恐怖を克服する方法が、アーサーは怒りの感情となってスパークする。
「僕はこれを怒りではなく、何で克服すればいいのか? 」
全ての観客に問いかけます。

理解すること
寄り添えること
見つめあうこと
笑顔で語りあうこと
抱きしめあうこと
「愛される」こと
「愛することで誰かを幸せにする」こと
劇中では、アーサーの願望と妄想で描かれていましたが、私はこれらがアーサー怒りをおさめる唯一の方法だと暗喩しているように感じました。

心優しい彼が、犯罪を犯してしまうまでの葛藤。
その緊張から解放されたときの高揚感と万能感。
そして、多幸感。

アーサーが『JOKER』のメイクを施し
刑事の追跡を逃れ
駅の構内を警察官らと逆方向に
煙草をくゆらせ
余裕で改札口に向かうシーンは
まさに「生まれ変わった僕」。

「自分ではない誰か」になることでしか
自分を慰める方法がなかったアーサー。
それを責める言葉を、私は見つけることができませんでした。

メディア・映画に詳しい佐々木俊尚氏は『JOKER』がこれだけ多くの人々に支持されたのは、「さまざまな国で上下の分断が進み、映画は貧困に落ちてゆく先進国の将来の不安へ、当事者性があった」と指摘されています。

格差ゼロというのは、いじめゼロと同様に幻想です。

それでもかつて政治が取り組んだように中間層を拡大することは重要だと経済史学者は啓発します。
それには、障害を持った人、更正する人、ひきこもりの人など、様々なハンディを持った人たちに雇用の機会を提供し、それを理解し受け入れる環境が必要です。
この環境を整えるためには、ほんとうに一人。一人だけでも理解してくださる方が増えることが必要なのです。

そして
私にできることは、理解して寄り添うだけ。
人を助けるとか、救うとか、そのような大それた力は私にはありません。
ただ、せめて寄り添うだけ。
誰かの心に、一瞬の安寧が訪れるよう祈るだけです。

このブログをお読みくださったあなたへお願いです。
『JOKER』をご覧になる機会がございましたら、どうか

『心優しい彼は、なぜ悪の象徴となったのか?』

そこにだけでもフォーカスしていただけたら幸いです。

 

 

『JOKER』2019年10月4日(金)全国公開

監督:トッド・フィリップス
  脚本:トッド・フィリップス スコット・シルバー
   出演:ホアキン・フェニックス ロバート・デ・ニーロ 他
  配給:ワーナー・ブラザース映画

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産経新聞 :2020.2.11・日刊27687号