「とても大切にしているものは簡単にふれることができなかった」
「ふれることで何かが壊れるような気がした」

私達が美しいものを見たり、聞いたりして心が動かされるのは「魂がかつて天上界で見たイデアを思い出して、真理を認識するから」というプラトンの考え方があります。
イデアとは「観念 idea」「理念 idee」が語源で、『変化しない絶対的なかたち』=『理想のかたち』を意味します。

私達が「完璧」を好んだり、「善」を目指そうとするのは、私達の魂がいつもイデアに憧れているからだとプラトンは主張しました。
魂が純粋にイデアに憧れることをエロスといいます。
この意味でエロスは『純愛』を指します。
「プラトニックラブ」(精神的な恋)の語源はこのプラトンの純愛論からきています。

タロットにも、この純愛論をふまえた「プラトニックラブ」を意味する札があります。
欲望を理性で節制し、正義へと導く智恵の象徴で、この倫理観はキリスト教圏で、主に婚姻関係が成立するまで、お互いの純潔を守ることを説いていました。

しかし、時代とともにこの倫理観は過去のものになりつつあるようです。
『変化しない絶対的なかたち』というものが、もし本当にあるとするならば、タロットが700年の時を経て伝えてきた「プラトニックラブ」も、その真意を変えずに現代風に解釈することが求められます。

私達は恋愛がときに
悲しみ
苦しみ
憎しみ
嫉妬
犠牲をともなう
荊の道であることを知っています。

大切にしている人なら、なおさら
あえて荊の道を選択をして、「傷つけあう」より、おだやかな道を選択をして、「傷つけあわない」ほうが賢明ではないかと葛藤します。

「とても大切にしているものは簡単にふれることができなかった」
「ふれることで何かが壊れるような気がした」

「プラトニックラブ」とは、
誰かを
『傷つけもせず、憎まれもしない』
誰かから
『傷つけられたりもせず、憎みもしない』
ことを選択した
葛藤の果ての恋愛のかたち なのかもしれません。
先の「欲望を理性で節制し、正義へと導く智恵」という複雑な言い回しではなく、シンプルに《成熟した恋愛》

ただし、様々な愛のかたちの中で
『傷つけもせず、憎まれもしない』
『傷つけられたりもせず、憎みもしない』ことが
幸せかどうかは、あなた自身が審判するところです。

なぜならば、私は
日々、タロットと向き合うなかで、ときに恋愛で傷つけあうことも尊いと思える瞬間があるからです。
恋のよろこびだけでなく
「痛みをともなう傷も、その人から授かった」
そう言えるとき
それは傷ではなく
「心に消えない刺青を施したのだな」
「一生かけても消えない、消したくない恋なのだろうな」
と感じることがあるのです。

賢明ではない選択をしたことが
《未熟な恋愛》ならば、賢明でなくていいとも思うのです。

恋をして、たくさん泣いて、笑って、失敗して、また笑っている女性は
とても可愛らしく
魅力的で
拝見していて、なぜだか安堵するのです。
それは、可能性や伸びやかさを予感させるからかもしれません。

そして私は
「プラトニックラブ」の領域に達することは、恋愛のエキスパートになるくらいハードルが高いと感じるのです。
あなたが「ふれることができない」と思えるほど誰かを大切に思えるなら、その気高さを捨てないでほしいのです。
あなたのその姿は、純愛の『理想のかたち』を体現している稀少な姿ではないでしょうか。

自分のことは、もうタロットに問わなくなって久しくなりますが、かつて私に何度も何度も開示された恋愛のヒントの札が、実は「プラトニックラブ」でした。
現代風に言えば「理屈っぽくて、小難しい、こじらせ系の女性」
タロットが告げる言葉に変換するなら「聡明で、扱いにくい、ミステリアスな女性」
それが
「憧れ」なのか
「傷」なのか
「理想のかたち」なのか
「警告」なのか
「否定」なのか
私は、最後まで見届けていません。
見届けていないこともまた、人生の楽しみなのかなとも思います。

あなたが今
選択に迷いがでてきたり
選択できなくなっているならば
あなたの恋愛の『理想のかたち』を、タロットに問いかけて、ヒントにしていただけたら幸いです。