「しょっ、しょっ、小学館の、ぼろぼろざっし‼︎」
まことちゃんが作った、即興の歌詞です。
世界中どこを探しても、このような歌詞を作り、歌えることができるのは、まことちゃんしかいないと確信させられるシーンが『まことちゃん』連載シリーズ「まことのこいのぼりの巻」に登場します。
2022年『楳図かずお大美術展』歴代作品の展示コーナーで『まことちゃん』連載初回号を拝見しました。私はその貴重さに畏れを抱きながらも、まことちゃんの即興の歌詞を思い出し、不覚にも声をあげて笑ってしまいました。
小学館といえば、『漂流教室』『洗礼』『わたしは慎吾』など、楳図かずお先生の作品を数多く発行している出版社。
小学館を、楳図かずお先生の”世界観の象徴”にしている私にとって、まことちゃんの歌詞は、短いフレーズでありながらその破壊力は強烈で、連載当時から現在に至るまで、鮮明な記憶として残っています。
なぜ楳図かずお先生が、まことちゃんにこの歌詞を歌わせたのか?長年思い悩むほど非常にインパクトのあるシーンでした。
しかし、展示会場を後にするとき、楳図かずお先生が、誰よりも何よりも小学館を信頼している歌詞だったと気づくのです。
楳図かずお先生が、アイデアを生み出し、何も無いところからそれを創造し、作品として世に発表する。それまでの過程で、唯一の”大人”が小学館なのだと理解できたのです。
「楳図かずおらしさは、いわゆる”幼児性”が特徴で、歴史や世界から遮断された自分だけの空間を強固に作っている」
:評論家・呉 智英(くれ ともふさ)
ここで言われている”幼児性”は
善い意味のあどけなさでもなく
悪い意味の子供っぽさでもなく
社会情勢・情報・他者に影響されることなく、自分自身に没頭できる聖域を持っている人を指しています。
自分だけの聖域を強固に作っている楳図かずおと、外界を繋ぐ“大人”の役割が出版社・編集者だった。
誤解を恐れずに言えば、楳図かずおの純度の高い”幼児性”を、守りながら損なわないように、社会通年上商業用として流通させるために、出版社にどれほどの”大人”の対応が求められたか?
そこは想像するしかないのですが
親子のように
親友のように
恋人のように
深い信頼関係があったと拝察されます。
そう思うと、まことちゃんの歌詞も、「親愛なる者にしか見せない愛情表現」だったと知るのです。
そして、私の社会通念が、いかにちっぽけであったかも思い知らされたのでした。
「あなたの”普通”とは、一体何を指しているのか?」まことちゃんは、これからも私に問い続けてくれるでしょう。
最後に特筆しておきたいのは、まことちゃんは「〜して差しあげるのら」という言い回しを、日常で頻繁に使います。大人でも、このような丁寧な言い回しをすることは稀で、そこに私は、まことちゃんの品格をみるのです。
そして何より、まことちゃんの
「〜して差しあげるのら」には
自分が
「うれしい」
「楽しい」
「大好き」
と思えるものを誰かに教えて差しあげれば、きっと誰かにも喜んでもらえるというシンプルさがあります。
大人になると、このシンプルさが難題となってきます。
即興の歌詞を作る才能もなく
一度も歌ったことがない私ですが
「うれしい」
「楽しい」
「大好き」
と感じたときには、まことちゃんのように言葉にできたらなと思うのです。
写真:
①NHK 趣味悠々 楳図かずおの今からでも描ける!4コマ漫画入門
講師:楳図かずお
編集:日本放送協会・日本放送出版協会
発行:日本放送出版協会(NHK 出版)
発行日:2009(平成21)年11月1日
②『まことちゃん』第21号「まことのこいのぼりの巻」
③『まことちゃん』連載初回号『週刊少年サンデー』第18巻第16号・小学館/1976年/雑誌
『楳図かずお大美術展』〜『ZOKU-SHINGO 小さなロボット シンゴ美術館』東京シティビュー(六本木ヒルズ 森タワー52階)2022年1月28日〜3月25日
④小学館文庫版(1999年)CG:谷田一郎
『まことちゃん』
著者:楳図かずお・発行所:株式会社 小学館「週刊少年サンデー」1976年16号-1981年30号連載・1988年37号-1989年32号連載
呉 智英:評論家・京都精華大学マンガ学部客員教授・日本マンガ学会理事
谷田 一郎:現代美術家・仏教をテーマに作品制作