しょっ
しょっ
小学館の
ぼろぼろ
ざっし‼︎

まことちゃんが作った、即興の歌詞です。

世界中どこを探しても
このような
言葉を選び
歌詞を作り
歌えるのは
まことちゃんしかいないと確信させられるシーンが『まことちゃん』連載シリーズ「まことのこいのぼり」の巻に登場します。

『楳図かずお大美術展』で、楳図かずお先生の歴代作品を展示してあるコーナーで、『まことちゃん』連載初回号を拝見しました。
その貴重さに畏れを抱きながらも、まことちゃんの即興の歌詞を思い出し、不覚にも笑ってしまっている自分がありました。

小学館といえば
『漂流教室』
『洗礼』
『イアラ』
『神の左手・悪魔の右手』
『おろち』
『わたしは慎吾』
『まことちゃん』
など、楳図かずお先生の作品を数多く発行されている出版社です。

小学館を、楳図かずお先生の世界観の象徴にしている私にとって
まことちゃんの歌詞は
短いフレーズでありながら
その破壊力は強烈で
連載当時から現在に至るまで、鮮明な記憶として残っています。
なぜ、楳図かずお先生が、まことちゃんにこの歌詞を歌わせたのか、長年思い悩むほど、非常にインパクトのあるシーンでした。

しかし
展示会場を後にするとき
楳図かずお先生が、誰よりも何よりも、小学館を信頼しての歌詞だったと気付くのです。

楳図かずお先生が
アイデアを生み出し
何も無いところから
それを創造し
作品として
世に発表するまでの過程で
唯一の大人が小学館なのだと理解できたのです。

楳図かずおらしさは
幼児性が特徴で
「歴史や世界から遮断された自分だけの空間を強固に作っている」と評論家・呉智英(くれともふさ)氏は解説されています。

ここで言われている幼児性
善い意味のあどけなさでもなく
悪い意味の子供っぽさでもなく
情報・他者に影響されることなく
自分自身に没頭できる世界を持っている人ということです。

「歴史や世界から遮断された自分だけの空間を強固に作っている」楳図かずお先生を、外界と繋ぐ役割が出版社だった。

誤解を恐れずに言えば
楳図かずお先生の純度の高い幼児性を、守りながら損なわないように、社会通年上商業用として流通させるために、出版社にどれほどの大人の対応が求められたか?
そこは想像するしかないのですが
親子よりも
親友よりも
恋人よりも
深い信頼関係があったと拝察されます。

そう思うと
まことちゃんの歌詞も
「親愛なる者にしか見せない愛情表現」だったと知るのです。

そして
私の社会通念が、いかにちっぽけであったかも思い知らされたのでした。
「あなたの普通とは、一体何を指しているのか?」
まことちゃんは、これからも私に問い続けてくれるでしょう。

最後に特筆しておきたいのは
まことちゃんは
「〜して差し上げるのら」
という言い回しを、日常で頻繁に使います。
大人でも、このような丁寧な言い回しをすることは稀で、そこに私は、まことちゃんの品格をみるのです。

そして何より、まことちゃんの
「〜して差し上げるのら」には
自分が
「うれしい」
「楽しい」
「大好き」
と思えるものを
誰かに教えて差し上げれば
誰かにもきっと喜んでもらえるという
シンプルさがあります。

大人になると
このシンプルさが難題となってきます。
遠慮
配慮
知慮
謙譲は美徳でもあり、他人行儀なのかも知れません。

即興の歌詞を作る才能もなく
一度も歌ったことがない私ですが
「うれしい」
「楽しい」
「大好き」
と感じたときには
まことちゃんのように
言葉にできたらなと思うのです。

 

写真:『まことちゃん』連載初回号『週刊少年サンデー』第18巻第16号・小学館/1976/雑誌・「まことのこいのぼり」の巻 21
『まことちゃん』著者:楳図かずお・発行所:株式会社 小学館「週刊少年サンデー」197616-198130号連載 198837-198932号連載
「デラックス少年サンデー」1971年掲載
『アゲイン』著者:楳図かずお・発行所:株式会社 小学館「少年サンデー」197138-19725号連載

『楳図かずお大美術展』
東京シティビュー(六本木ヒルズ 森タワー52階)
ZOKU-SHINGO 小さなロボット シンゴ美術館』
2022128日(金)〜325日(金)
展覧会公式サイト :https://umezz-art.jp/

智英(くれ ともふさ)
日本の評論家・漫画評論家
京都精華大学マンガ学部客員教授
日本マンガ学会二代目会長歴任理事
『ギャグの未開地を拓く』小学館文庫解説『まことちゃん』①第一刷発行1999.01.10