神に近付こうと、天まで届くバベルの塔を建設中の人間たちに、神はその傲慢さを教えるため「人間たちの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう」と 決断されました。
人間たちは、共通の言葉(始原言語)を奪われ、意思の疎通が出来なくなってしまい、バベルの塔を完成させることはできませんでした。
(旧約聖書:創世記 11章)

私はこの一節を読むたびに、人間たちは共通の「言葉(文字)」を奪われたため「音」や「絵」などでコミュニケーションを取るよう試されていると感じるのです。
「音」は、警報・信号・音楽・楽器・舞踏など、「絵」は、設計図・地図・絵画・服装・デザインなど、コミュニケーションの手段として発展を遂げてきました。

私はこのバベルの塔の逸話から、言葉の重要性を過剰に信じるようになり、絵画を観るとき、絵柄よりも先に「タイトル」「解説文」を読む習慣がつきました。
さらにタイトルには、創作者の「いちばん伝えたいもの」が集約されていると信じて疑わない。美術展でも、作品を観るよりも「解説文」を読んでいる時間のほうが圧倒的に長いことが毎回でした。

しかし、選曲家・桑原茂一さん編集出版の『フリーダムディクショナリー』には「タイトル」「解説文」が存在せず、ただひたすら絵画の世界に没頭できます。
誤解を恐れずに言えば、そこには創作者の「こう読んでほしい」という強制力がありません。
(例えば「太陽」は、古来より光の象徴として、万国共通の普遍的な記号として今日まで継承されてきました。「太陽を、闇と読まないでほしい」程度の強制力がそこにはあります)

『フリーダムディクショナリー』今月号の掲載に、植田工氏の太陽が描かれている作品があります。その太陽からは「昇る前なのか、南中なのか、沈んだ後なのか」受け取る側のコンディションにより変化することを許可し、全てを委ねましょうという姿勢を感じます。言葉によるイメージ操作がないとは、こんなに楽なのかと解放されたような気分です。

そして私は、選曲家である桑原茂一さんがなぜ「絵画」を編集出版されるようになったか?その経緯を考えるのです。
おそらく、出版社編集〜ラジオ番組という「言葉」の限界をクリアされ、バベルの塔崩壊以降のように「音」と「絵」に到達されたのではないかと想像します。
『フリーダムディクショナリー』とはその名のとおり、自由に観て、感じて、想像できる書籍。
そして私は、初めて絵画を観て音楽が流れてくる感覚を知ったのです。絵画の「解説文」を読むことに精一杯だった私にとって、それはとても大きな変化なのです。

◆音楽選曲とアートから始まる交流の場
FREEDOM DICTIONARY No.214
2023101日発行
表紙:寺田克也
発行:株式会社 桑原茂一事務所