「イエズス会では、もう悪魔祓いなどしていない。それは、科学が発展したからだ!」

2000年映画『エクソシスト』ディレクターズ・カット版を観て、オリジナル劇場公開版では見えなかったものが見えてきました。

1973年に公開されたウィリアム・フリードキン監督の、映画『エクソシスト』(悪魔祓い)は、1970年代以降のオカルトブームを巻き起こした作品として、現在でも高い評価を得ています。

しかし、この作品で興味深いのは、現代医学のシーンが非常に詳しく描かれていることです。
少女リーガンの異変は、精神科医・脳外科医らが「憑依妄想」と病理学的立場から治療を試みて、妄想・妄言・幻視・幻聴は現代医学で解明することができ、何者かが人に憑依することは、「不道理」であることを慎重に語られています。

作中では、あらゆる治療法を試みても、リーガンが快方に向かわないことから、現代医学から不可視の領域へと足を踏み入れることになります。
キリスト教・イエズス会は、会則で「悪魔憑き」を証明し、認定するまでの手続きの煩雑さ、同席が義務付けられている医師の了解が取れないことなどから、悪魔祓いの儀式は近代において実践されていないと言明します。

「イエズス会では、もう悪魔祓いなどしていない。それは、科学が発展したからだ!」と。

そうした経緯があり、悪魔祓いの儀式の決行は、母親や神父らに苦渋の決断と、殉職を予感させる、悲壮な覚悟が求められました。
「なぜ、少女リーガンに 、南西の風という悪魔が取り憑いたのか?」メリン神父とカラス神父(精神科医)らは、自問自答を繰り返します。

それは、リーガンを通じて、他者のためにどれだけ自分を犠牲にできるか「人の絶望ではなく、愛を試す」悪魔からの挑戦状だったのです。
この悪魔とは「不道理」の象徴として、映画の根底に流れ、描かれています。

私は、科学がどれだけ発展しようとも、「不道理」というものに対峙するのは、人の想いだけなのだと、映画『エクソシスト』は暗喩しているように感じます。

そして、イギリスでは、アルバムチャート1位、アメリカでは3位、1974年度グラミー賞ポップ・インストゥルメンタル・アルバム賞を獲得したテーマ曲『チューブラー・ベルズ』は、作中では、わずか30秒ほどのシーンで使われています。

その30秒とは、リーガンの母親が、世界最高峰と名高いジョージタウン大学から、貸家に戻る途中、ハロウィンの可愛いおばけに扮した子供たちと、教会の修道女たちとすれ違うシーンです。

私は、このさりげないシーンに、「人の叡智」「不可視の領域」「救済」が凝縮されているように思うのです。『エクソシスト』という作品に込められた象徴を見逃さないでおくことと、これからも新しい発見ができるかが、今の私の課題です。

 

映画『エクソシスト』1973年公開・監督:ウィリアム・フリードキン・第461974年アカデミー賞:音響賞・脚色賞
挿入曲:「チューブラー・ベルズ」マイク・オールドフィールド(バージンレコード第一弾新譜4枚のうち1枚:レコード番号1番)

映画『エクソシスト』ディレクターズ・カット版2000年公開

『エクソシスト』著者:ウィリアム ピーター ブラッティ ・訳者:宇野利泰 ・発行所:新潮社1973刊行・創元推理文庫 1999.07.30初版