「ああ。これは私だ」

文字のような
楽譜のような
モールス信号の記号のような
自由な線が
ノートの余白まで
びっしり埋まっている作品を『鞆の津ミュージアム』で拝見したとき、真っ先にそう感じました。

ここに展示されるのはアール・ブリュットとよばれる
超個人的発想から生まれた不思議な表現の芸術作品。

私は
『英語』が理解できないのに
筆記体の美しさに惹かれて、ノートを作ってみたり
『仏説阿弥陀経』が理解できないのに
漢字の見栄えに惹かれて、書き写してみたり
『地獄絵図』の説く仏法を理解できないのに
おそろしさに惹かれて、模写をしてみたりする子供でした。

そこには
つくりあげたものを
誰かに披露したり
何かに認めてもらおうという目的はありませんでした。

ただ、ひたすら
自らの”執着心”と”こだわり”だけを追求できる作業は
欲望を満たし
達成感
満足感
心の安寧を
私に与えてくれました。

大人には
評価してもらえないだろうという思い込みから
例えば、写生大会では
「誰が見ても、小学生の子供が描いた風景画」を描くような
計算ずくで、体面を保とうとする子供でもありました。

計算ずくで、体面を保とうとする子供だった私は
大人になって
さらに
「誰もが納得できるもの」
「クライアントが求めるもの」
「相手が好みそうなもの」
「売れそうなもの」
など
自分の欲求は後回しにして
他者の顔色を伺いながら
萎縮しながら
誰かに
何かに
阿(おもね)ることが最優先だと考えるようになりました。

しかし、『鞆の津ミュージアム』で
自らの”執着心”と”こだわり” だけを追求したノートを拝見して
「自分が満たされなければ、他者も満たすことができない」という、シンプルなことに気づかせていただきました。

私自身が
“執着心”と”こだわり”をもって取り組み
「これ、私、絶対好き!」
というものしか、誰かの心を動かすことはできないと思えるようになりました。

かつての私のように
誰かに、何かに阿るのではなく
自由に
自分のためだけに
エネルギーを注げることの大切さ。

それに気づかなければ
自分ではない「他者の期待する一生」を、演出し続けていたかもしれません。
ほんとうに挑戦したいことを我慢して、世間体にとらわれた一生を送り続けていたかもしれません。

それでも
誰かに出会い
何かに出会い
「自分が満たされなければ、他者も満たすことができない」ことに気づけば、自分の心の声に耳を傾けて、自分自身を大切にしようと思えてきます。

「誰が見ても、小学生の子供が描いた風景画」を描いていた子供の頃の私に『鞆の津ミュージアム』の在りかたを教えてあげたくなりました。

そして、この春
『鞆の津ミュージアム』が紹介された、美術の新しい教科書が、全国の中学生に配布されました。
新しい教科書では
「自由な感性から生まれた作品は、さまざまな表現や価値がある」ことを子供たちに伝えてくださっています。

ひとりでも多くの子供たちが
新しい教科書を手に取り
芸術では
どんな形であれ
自分自身を満たすものでいいと
気づける出会いになれば幸いです。

自分の価値観を大切にできた人は
他者の価値観も大切にできると
私は信じています。

 

『鞆の津ミュージアム 』https://abtm.jp/
〒720-0201 広島県福山市鞆町鞆271-1

『美術との出会い』美術1・文部科学省検定済教科書 中学校美術科用
発行者:日本文教出版株式会社・発行:令和3年1月15日