「寄るんじゃねぇやい ‼︎
みょうな友だちヅラなんて
迷惑だぜ ‼︎」

投げ釣りの飛距離を競う『無名島キャスティング競技会』第二投目で、ライバルの三平を意識しすぎて迷いが生じたジン(鮫島仁)は、釣り糸が切れてしまうペナルティーをおかしてしまいます。
天才少年キャスターと呼び声高い『シャークのジン』の失態に激怒した父親は、競技会場の観衆の面前でジンを厳しく叱責します。

そこへ、三平が
「そいつは
おらの友だちだぞ‼︎」
と仲裁に入ります。

ジンは、初めて人から
「友だち」と名指しされて
冒頭の
「寄るんじゃねぇやい ‼︎
みょうな友だちヅラなんて
迷惑だぜ ‼︎」
と反発します。

『釣りキチ三平』は1973年(昭和48年)から1983年まで、「週間少年マガジン」に連載され、緻密な自然描写に加え、人間と自然とのかかわりを、ときに厳しく、ときに温かく描き、全国的に釣りブームを巻き起こしました。
そこには、釣りの技術や知識だけでなく、釣りを通して芽生える人間の葛藤や焦燥感、慈愛や友情も描かれています。

特に、コミックス12巻・13巻・14巻・15巻に収められている第8章《シロギスの涙》は、私に大きな影響を与えてくださり、現在の私を形作っていると言っても過言ではありません。

《シロギスの涙》に登場するジンは
「生まれたときから気が弱く、からだも弱く、おまけにだいの泣き虫だった」と語られています。
そんなジンに
ガキ大将たちがつけたあだ名が
ちいさくて
色が白い
「シロギス」。

そんなジンが投げ釣りの才能に目覚め、メキメキと腕をあげていくと同時に、プッツリと泣かなくなりました。
「シロギス」といわれたジンの前から友だちが次第に遠のき、ひとりとして、そばに寄りつく者はいなくなってしまいました。
むしろ、ジンのほうから徹底的に友だちを振り払って、得意顔になってゆきます。
「ガキのくせに妙に強がってばかりの、友だちも涙もねえ、歪で孤独なシロギスになりつつあった」とも語られています。

しかし
そんなジンの前にあらわれた三平。
三平の「ただ、釣りが大好きなだけ」という、混じり気のない純真さに触れ、ジンは勝つことばかりが人間の強さではないことを知ります。

「と 友だち…」
「…クソオ あいつ…
しゃれたことをぬかしやがって」
と戸惑いながらも
三平との別れの日
ジンは泣きます。

泣いているところを悟られない距離で、三平を見送ります。

私はジンの
悟られない距離で泣く姿に
昔も今も、胸を締めつけられるような気持ちになるのです。

三平の年齢設定は11歳(物語により9〜15歳前後)とされていますが、連載当時の私は小学校低学年で、三平は私より大人でした。

三平の年齢に追いつき
追い越し
三平の両親の年齢になり
それも、追い越し
今は、三平の祖父 一平の年齢に近づこうとしています。

子供の頃から今日に至るまでの歳月のなかでは
三平の、明るく天真爛漫さがしんどくなる時期もありました。
ジンの、何かを極めようとするときには孤独が必要だったことも知り、アンビバレントな感情になることもありました。

それでも
今でも『釣りキチ三平』を拝読すると、小学校低学年の頃の未熟な自分を鮮明に思い出すことができるのです。
今でも三平は私よりも大人だという感覚は消えていません。

そしてこれからも
きっと三平は私よりも大人で
私の「こうありたい」と願い続ける人なのかもしれません。

そして
ジンのように
孤独に耐え
悟られない距離で泣く美学にもまた憧れ続けるでしょう。

「自分が大好きなものに関わる

道具
自然
それらから授かる恩恵を
大切にしたい」

そういった願いが、全編の根底にある『釣りキチ三平』という作品で、三平やジンに出会えたことは私の財産です。
矢口高雄先生ありがとうございました。

 

矢口高雄先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

『釣りキチ三平』第8章《シロギスの涙》著者:矢口高雄・発行所:株式会社 講談社
第12巻 昭和52年1月8日第5刷発行・第13巻 昭和52年2月28日第5刷発行・第14巻 昭和52年7月1日第5刷発行・第15巻 昭和52年7月1日第5刷発行