純愛映画である。
それも、至高のプラトニックラブ・ストーリーである。
こんな形で、このように純真な魂が呼び合い、
求め合う姿を描くことができるとは、驚ろいた。
なにしろ、このロミオとジュリエット以来の
純愛悲恋を演じるのが、
連続殺人犯を追うFBI訓練生の若き女性と
9人の患者を殺害して その肉体の一部を食したという
天才的な元精神科医であるというのだから、いったい何という恋のカップルであるのだろう。
おまけにこのふたり、その立場も正反対に異なるならば、肉体もまた厚い鉄格子にはばまれていて、この現世で愛し合い、結び合うことができるなど、全く不可能であるという設定がなされている。

そして、だからそれだけに、引き裂かれたふたつの魂の、より切実に、純粋に呼び合う姿が、この悲恋をより痛切なものとして描き出し得るという構造だ。
その発想と工夫とが、まず凄い。
天才的な作劇上の発明である、と言いたいほどだ。

こういうことが可能になるのは、アメリカの新時代の作家たちが、じつはいかに古典を勉強し、先人の智恵の後を辿って、それを今に生かすことに努力しているかという、その精進のたまものでもあるだろう。
《ロミオとジュリエット》の親同士の反目が、《シラノ・ド・ベルジュラック》の大きな鼻が、巨大な《キング・コング》と小さな金髪美女の肉体の落差が、あるいはまた、《シベールの日曜日》のように年齢の差が、そしてまた、例えば《哀愁》のふたりのように戦争でやむなく別離を強いられてしまったり、《ある愛の詩》の場合のように白血病などの難病によってこの世では結ばれ得なかった多くの恋人たち。

そうした様々な工夫によって、純愛の尊さを語り継いで来たその優れて豊かなエンターテイメントの伝統が、いまこうしてホラー、あるいはサイコ・スリラーという形で、古典的な悲恋の物語を現代に物語ることに成功した。
例えば、あの気色の悪いスプラッタ・ムービー《ザ・フライ》にしても、飛び散る血しぶきや目をそむけたくなるほどの悪趣味な残虐シーンのオンパレードにもかかわらず多くのファンを引き寄せてしまったのは、これもまたこの時代のあだ花ではありながら、そのじつ古典的な純愛伝説のひとつ継承でもあったからだろう。

そこへいくと、この《羊たちの沈黙》は、ひさびさの本格派純愛映画である。この恋人たちのキャラクター設定と運命的な出会いと別れとは、正しく古典的格調に支えられ、堂々たる恋愛叙事として仕上がっている。古典的であるというひとつの例は、このふたりの悲恋を追いつめていくその過程での、ストーリーのその他の部分での、ディテールの大胆な省略である。
もし、この映画を純愛映画としてではなく、犯罪捜査を描く社会派ミステリーとして見るなら、その物語上の典型としての設定が、安易な嘘やご都合主義とも取られ、まるで漫画や劇画のようだとも感じられるだろう。

しかし、その分、ふたつの魂の呼び合う様が純化して描出されていくのである。その恋人たちを演ずるジョディ・フォスターとアンソニー・ホプキンスが、この典型にふたりを表現して見事である。
押さえた演技の底に、愛に苦悩を垣間見せて、悲痛でさえある。
その悲恋のテーマを深部に低く流しながら、様々なめくるめくる旋律を優雅に絡ませて、ぐいぐいと観客を物語に引き寄せて離さない、この純愛シムフォニーのコンダクターたるジョナサン・デミ監督の手腕が、また見事な緊張感を漲らせた完成度を示している。

こんなに映画的興奮を味わったのは、まことに久しぶりで、思えばそれは、フランスのヌーベルバーグやアメリカのニューシネマ以前、つまり映画がまだ、いわゆる”映像主義”を知る前の、古典的ドラマの典型を、様々な工夫によって大衆娯楽映画として差し示してみせていた、あの豊かな映画の時代以来のことである。
ジョナサン・デミのこの映画のコントロールの意志は、すべてそこに向けて、極めてデリケートに紡がれている。

例えば、キャメラ。
ここには一切の”映像”がない。すべて”映画の画”で構成されている。
“映画の画”とは、いわばひとつの意志を持つパーツとしてのワン・カットであり、そのひとつひとつはきっちり映画全体に機能する動詞である。それに対して”映像”とはそのワン・カット自身がそこに充実してある感情を語り、いわば形容詞として立ち止まる。

“映像主義”の映画は映画を解体し、ある時代のフィーリングを強調して伝えるが、”映画主義”の映画はとめどなく一定の時間内を疾走し、その快感の渦の中に永遠の主題を浮かび上がらせる。
ジョナサン・デミのこの新作は、そこの所が、いま新鮮にして魅力的なのである。

ラストシーン。
ようやく自由の身となった男が、それ故に恋人との絆を永遠に立ち切られ、愛のさまよい人となってこの世の果てに消えていく。
あの場面の、そこだけが切り取られたように救いの無い暗い情感を漂わせて、純愛映画の古典的名作の味わいを醸造し得たあたり、それはデミの映画的勝利を象徴してもいるのだ。

◆ 大林宣彦 《純愛映画の古典的名作が生まれた》

 

大林宣彦 監督のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

 

『羊たちの沈黙』:ジョナサン・デミ監督 1991年(平成3年)6月14日公開・第64回アカデミー賞(作品賞・監督賞・脚色賞・主演男優賞・主演女優賞)主要5部門受賞
編集・発行:松竹株式会社 事業部
寄稿:大林宣彦

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