「中東の一部の部族では、
自分の部落の井戸水を盗もうとした他部落の者は、
射殺してよいとされている。
自分の部落の女や子供の生命線を死守するための正義なのだ。」

(曽野綾子 氏 : 産経新聞連載「透明な歳月の光」より)

正義とは、普遍的なものではなく、
国や時代や宗教が違えば違ってきます。

日本国内の裁判の判例を見ても、
万人が納得する判決は下されていません。

では、正義とは何なのでしょうか?

タロット札の「正義」に描かれている人物は
ギリシャ神話に登場するテーミスという女神です。
最高裁判所、虎ノ門法曹ビルにもテーミスの銅像が
私たちを見守ってくれています。

テーミスが持っている秤と剣。
秤で罪の重さを測る「正義」を象徴し、
剣で裁く「力」を象徴します。

「剣なき秤は無力、秤なき剣は暴力」に過ぎず、
「正義」と「力」が法の両輪であることを表しています。

正義の解釈が各国で違っていること。
法もまた各国により違っていること。
これらは当然として受け止めるべきなのですが、
正義の札が私達に訴えかけてくる共通のメッセージがあります。

正義の札は
「過ちの中にある、けじめをつけること。」
「どちらも正しく、どちらも間違っている。」
この感覚が大切だと語りかけてくれます。

自分自身をジャッジメントする時、
他者をジャッジメントする時、
これらの感覚がきっと私達を正義へと導いてくれるでしょう。