坂本龍一『LIFE』の語るもの
解説に代えて:浅田 彰

第1部 20世紀の総括
[科学とテクノロジー]

 20世紀は科学技術が著しく発達した世紀でした。まず、物理学の進歩によって、物質の微細な構造が明らかになり、物質とエネルギーの関係も捉え直された。そして、「E=mc2」というアインシュタインの方程式が、1945年に広島と長崎に投下された原子爆弾によって現実化されることになります。

 原子爆弾は、アメリカのロス・アラモスでつくられました。その計画を指揮したオッペンハイマーは、最初の原爆実験のとき、「私は世界の破壊者となった」という「バガヴァッド・ギーター』の一節を想い起こしたといいます。その延長上で、戦後も、水素爆弾がつくられ、ロケット技術と結びついて、核ミサイルの恐怖の均衡が地球を支配することになるでしょう。69年の有人字宙船の月着陸を頂点とする宇宙開発は、人類の夢の実現でしたが、それも、米ソの冷戦と無縁ではなかったのです。

 しかし、ロス・アラモスは、科学技術が新たなステージへ進む転換点ともなりました。たとえば、原子爆弾の開発をひとつの契機として、フォン・ノイマンを中心に電子計算機が開発されることになります。それによって、厳密に解けない非線形の現象のシミュレーションが可能になる。それが、後になって、決定論的でありながら初期条件が少し違うだけで結果的にほとんど予見不能な多様性が生まれてくる「カオス」現象の発見へ、さらにはいわゆる「複雑系」の研究へと、つながっていくわけです。

 それとも関連して、フォン・ノイマンは、「自己増殖オートマトンの理論」を考え、単純な要素からなる機械の自己増殖の可能性を示しました。その後コンウェイが考えた「ライフ・ゲーム」は、それをさらに単純化したもので、碁盤の上のパターンが単純なルールによって生成消滅するだけなのですが、その中でさえ自己増殖するパターンが存在するのです。このフォン・ノイマンの業績を知っていた人びとは、53年にワトソンとクリックによってDNAの構造が解析され、遺伝情報の伝達による生命の自己増殖のメカニズムが解明されたときも、驚くことはなかったのです。

 このように、ロス・アラモスは、原子爆弾をつくると同時に、情報科学や生命科学といった新しい科学技術への転換も用意したといえるでしょう。電子計算機は、いまや、地球全体を包むコンピュータ・ネットワークへと進化しています。そもそも、アメリカの国防総省が、核戦争でセンターを叩かれても生き残れるように考案した分散型のネットワークが、いまではどこの国家も完全にはコントロールできないアメーバ状の広がりをもつに至っているのです。また、生命科学は、新しい生命像を描き出すとともに、バイオエンジニアリングという形で現実的にも大きな力をもつようになってきています。それらは、21世紀のヴィジョンを考えるうえで、決定的に重要な要素となるでしょう。

DOCUMENT 『LIFE』  a ryuichi Sakamoto opera 1999
発行日:1999年9月4日
坂本龍一:LIFE IN PROGRESS・1999 WARNER MUSIC JAPAN INC.

※「E=mc2」の「2」は小文字で表記されています。

1945年8月6日。
広島に世界で初めて原子爆弾が投下されました。
今、私が手にしているスマホもその恩恵を授かっています。科学の進化には犠牲が伴っていることを忘れないでおくことが、お亡くなりになった方々への礼儀だと思っています。