「ずっと繋がっていたのだな…」
渋谷駅南に位置する稲荷橋から渋谷川を眺めながら、38年前の記憶をたどってみました。
1984年バブル時代の黎明期。
広島県の田舎にある県立高校から、受験のため上京した私は、ファッション誌に掲載されている店舗を一目見たくて、渋谷パルコを訪れてみました。
憧れの店舗の前まで行ってみたものの、驚くほど美しいハウスマヌカンに圧倒され、店内に入る勇気すら持てませんでした。
その瞬間、「渋谷」は私のコンプレックスを象徴する街となりました。
そんな
きらびやかな渋谷パルコを一歩出れば
消費者金融
闇金
テレホンクラブ
ラブホテル
辻占い
公衆電話のピンクチラシ
ストリップ劇場
風俗店
娯楽施設
カフェバー
ファストフード店
人々の持つ欲望を、わかりやすく看板に掲げた街並みが広がっていました。
白昼堂々と掲げられた欲望から目を逸らすように、街を通り抜ける18歳の私。
その街の下に、渋谷川とその支流が流れていることすら知りませんでした。
そして2016年。
『欅坂46』のデビューシングルで、渋谷川の存在を初めて知りました。
渋谷川は、昭和初期の急速な都市化にともない河道の三面張り化が進められました。
戦後、渋谷川は生活排水や産業排水の下水道幹線となり、1970年までに各支流はほぼ全て暗渠(あんきょ)化。
2018年『渋谷駅南街区再開発プロジェクト』により、東急東横線・線路跡地に遊歩道が完成。
あわせて渋谷川の水の流れは、清流復活水を活用した「壁泉」(へきせん)により蘇りました。
大人になった今、東京の都心を流れる渋谷川を眺めていると、その街の歴史が水面に映し出されてくるのを見るようです。
蛍が舞っていた時代から
戦後の闇市
高度成長期
バブル期
再開発期
現在に至るまで
東京の光と闇を溶かし込んだような佇まいの渋谷川に、私はタロットの「脈々」という意味の札を想起しました。
それは、過去から現在まで、途切れることなく繋がって、継続しているものを指します。
かつての私は
渋谷パルコのきらびやかさも
渋谷の街の欲望も
自分には縁遠いものだと思っていました。
しかし、私は現在、あの日目を逸らした辻占い師のような生業をしています。
タロットを読む人となり、『きらびやかさ』も『欲望』も、全て受け入れ、肯定することが求められるようになりました。
かつて私が、目を逸らした看板の中にこそ
犯罪の抑止
暴力の抑止
自殺の防止
芸能の育成
などに貢献しているものがあると気付き、全ての謎が解けたような気持ちになりました。
「渋谷パルコのハウスマヌカンは、売上ノルマで苦しんでいたかもしれない」
「大手都市銀行の取りこぼしを、消費者金融・闇金が回収していたのかもしれない」
「ストリップ劇場の踊り子は、大女優に演技指導したことを、誇りに思っているかもしれない」
「見窄らしく思えた辻占い師は、実は大会社のコンサルタントだったかもしれない」
「風俗店の女の子に癒されて、自殺を思い止まった男性がいるかもしれない」
「弱い者に向けられるはずだった誰かのフラストレーションを、娯楽場は解消していたのかもしれない」
渋谷という街が誰かを救い、巡り巡って私も救われていた可能性を、ようやく読み取れるようになりました。
それぞれの場所で、それぞれの人が泣いて笑って、日々の物語が連続していた。
私の知らないところで、渋谷川が流れ続けていたように、「渋谷」という街の物語も脈々と連続して、今日に繋がってきたのでしょう。
「ずっと繋がっていたのだな」
18歳の私が、あの日感じたコンプレックスと、目を逸らした欲望の景色。
それらは、見えないところで、脈々と私に影響を与え続けていたのです。
そして、コンプレックスを個性に変換して、今の私を形作っているのだと、渋谷川は教えてくれるようです。
年齢を重ね、またいつか再び渋谷川を眺めるとき、私は水面に何を見るのでしょうか。
そんなことを想いながら、渋谷川を後にしました。
『渋谷川』(しぶやがわ):渋谷駅南方から天現寺橋までの2.4kmを流れる二級河川。
『渋谷川』:欅坂46 ファーストアルバム
『真っ白なものは汚したくなる』2017.07.19
2017 Sony Music Labels Inc.
『渋谷駅南街区プロジェクト』B-1棟新築工事現場
〒150-0002 東京都渋谷区渋谷3丁目21