「どうか、今日だけは可愛くしてください」
祈るような気持ちで迎えた、最後の体育祭。
私が通っていた高校の体育祭は、学年縦割りで「赤・青・白」3チームを作り、応援団長のもと応援団が大会を盛り上げる伝統がありました。
応援団にはチアガールが所属し、その衣装は各チームでデザインを考案して縫製することも慣わしでした。
広島県の県立高校では制服の着用が義務づけられているため、制服ではない装いを校内で認められる日は稀なことでした。
体育祭は、まさに「ハレの日」です。
各チームの衣装をどのようなデザインにするかは、生徒の自主性に任され、そのクオリティは家政科の存在もあり、非常に高いものでした。
当時の1980年代は
東京・原宿の歩行者天国(ホコ天)で
50’sファッションでロカビリーを踊る
『ローラー族』や
カラフルな衣装でステップダンスを踊る
『竹の子族』が
新しい文化を築き、話題になっていました。
モード系では
『カラス族』
『プアー・ルック』など
他者に媚びないファッションも流行しつつある時代でした。
女の子たちが、ファッション誌をチェックして『ローラー族』の可愛いらしい50’sファッションを選びたくなるのは当然とも言える現象でした。
その結果、見事に3チームとも50’sファッションで統一され、そのスタイルは当時の体育祭の主流だったようです。
50’sファッションの
チアガール姿は
華やかで眩しくて
1年生の頃の私は
3年生の先輩たちが洗練された大人にみえ、どこか違う世界をみているような感覚でした。
私は
いわゆる「陰キャ」で
ホラー漫画の主人公に憧れるような女子高生だったので、チアガールなど縁がない世界だと思っていました。
しかし、私は
3年生最後の体育祭で、チアガールにエントリーしました。
華やかで眩しいものを畏れていたはずの「陰キャ」が、なぜチアガールという無謀なセクションにエントリーしたのか?
そこには、大好きなはずの「陰キャ」を否定しようとする、相反する迷いが作用していたのです。
当時は「陰キャ」という造語はなく
目立たなくとも「サブカル系」まで到達できそうな人物を指す言葉として「ネクラ」という造語が使われていました。
「陰キャ」が「ネクラ」
「陽キャ」は「ネアカ」
バブル時代の黎明期で
暗いものより
明るいものが正義だという
風潮もあったのでしょう。
私もそれにもれず
華やかで眩しいものへの憧れから、チアガールのエントリーに至ったのです。
体育祭当日は、相変わらず周りの女の子たちの圧倒的な可愛さに気後れし
「どうか、今日だけは可愛くしてください」という、祈るような気持ちだったことは鮮明に覚えています。
「今日だけは」という願いは、自分の自信のなさのあらわれ。
非日常のチアガールの衣装をまとうことで、クオリティの高い自分が演出できるような気がしていた。
ただしそれは
本当に「気がした」だけの錯覚。
気になる男の子のいるチームに
近寄る勇気すら出なかった。
完全に衣装に着られてしまった状態で
クオリティの高い自分どころか
緊張して
萎縮している自分の姿がありました。
大人になって思い返し
かつての自分に後悔したのは
緊張して萎縮した自分の姿ではなく
自分の自信のなさを「陰キャ」のせいにしていたこと。
モテない理由を、自分の大好きなもののせいにしていたこと。
今ならわかるのですが
もし、デザイン担当が偶発的に私に振られたら、全身真っ黒の『カラス族』を推したでしょう。
ホラー漫画にちなんで『ゴスロリ』を推したかもしれません。
現実的には「赤・青・白」のチームカラーが指定されていて、具現化することは難しかったでしょうが、自分の大好きなものなら、どうにか知恵を絞って、工夫していたはずです。
その熱意に共感して、協力してくれたであろう友達の顔は、何人か克明に思い浮かびます。
周りのほとんどの人に理解してもらえなかったとしても
認めてもらえなかったとしても
却下されても
そこに至るまでの創意工夫に後悔はなかったはずです。
チアガールの50’sファッションで
「誰かに気に入られよう」
「誰かの好みに合わせよう」
「TPOをわきまえよう」
という、協調性を知るとともに
「そこに縛られることもなかったよね」と気付いたのです。
「陰キャ」の自分を貫けばよかった。
プレゼンテーションする勇気を持てばよかった。
実は、それこそが
この学校の狙いであり
生徒にチャンスを与えていたのではないかと思われるのです。
私は、チアガールの経験で
相反する迷いを知ったからこそ
今では
「陰キャ大好き」
「オタク大好き」と言えるし
執着心から
何かをこじらせるくらいでないと
何も創作できないと明言できます。
そして
「後悔を、自分の大好きなもののせいに絶対しない」と誓えるようになりました。
そうなれば
「どうか、今日だけは…」
と祈らなくても
「今日も」
と祈れるようになることを知ったのです。
自分を否定しそうな迷いが芽生えたら
今でも私は
「陰キャ」のチアガールを思い出すようにしています。
それは
「自分を貫けばよかった」
「勇気を持てばよかった」
という後悔だけはしないようにと戒めてくれます。
その戒めから
タロットを読むうえで
「陰」も「陽」も
どちらも等しく尊いことを
今日も
心に留めるのです。
『歩行者天国』1977年-1998年:原宿駅から青山通りまでの約2.2km 休日車両進入禁止エリア
『おろち』楳図かずお・週刊少年サンデー1969年25号-1970年35号連載
『エコエコアザラク』古賀新一・週刊少年チャンピオン1975年9月1日号-1979年4月9日号連載