「あのさ、薄々気付いてると思うんだけど。
私、摂食障害なんだよね」

友人と夕食をどうするかという会話になったとき
『摂食障害』であることを、この人には隠す必要はないなと思い、カミングアウトしました。

友人は、簡単な頼みごとを聞いたように
「あ、わかる。
私もお酒いただくときは、食事摂らないよ」
と、まるで日常的によくあることのように、「じゃあコンビニだね」と提案してくれました。

『摂食障害』の誤解されたイメージから
「食べものを粗末にしてる」
「料理を作ってくれた人に失礼」
「世界には食糧難の国があるのにわがまま」
と、否定的に捉えられることが圧倒的に多い中で、友人の肯定的な態度と言葉に救われました。

『摂食障害』は、《小さな自殺》と呼ばれています。
《拒食》は母娘の関係が悪化しているとき、母親のような人(体型)になりたくないと「大人になることへの嫌悪感」を感じることから。
《過食・嘔吐》を繰り返すのは、今の自分は無かったことにしたい、「リセット」したいという思いから。
《第2種医薬品の常用》は浄化。
いずれも、今の自分を否定することが根源にある行為です。

かつての私は《拒食》が高じ、食べるもの全てのカロリー計算をしなければ納得できないような日常を送っていました。
職場の先輩が配ってくれた『チロルチョコ』1個40キロカロリーと計算をするほど「こだわり」を持ち
「先輩はどうしてチロルチョコ配るんだろう?」という思考に陥っていました。

しかし
タロットと出会い、そのまま『摂食障害』を意味する札を知り、「見え方・捉え方を180度変えてみる」というメッセージから、自分を客観的に見ることができるようになりました。

「私って、今の自分が嫌いなんだな」

「エリートの母親に対してコンプレックスがあったんだな」

タロットに出会うまでは
自分のイメージする「私」と
他者(母親)がイメージする「私」が違うことを感じとり
必死で母親の望む『娘役』を演じ
「ほんとうの私を知ってほしい」という思いを持ち続けていました。

『娘役』。
それは「大人の女性になることを否定」していたのです。
食べることを拒否することで、「身体の成長を阻止できるのではないか」という期待。

今ならわかるのですが
「ほんとうの私」なんてないし、どれも「私」だったのです。

人は「表と裏」だけではなく、上面・底面・側面もいくつかあっての多面体。
側面が多ければ多いほど、その人は複雑で面白いと理解できたとき
『摂食障害』も私の「個性」だと思えるようになったのです。

「カロリー計算が瞬時にできる」
「チロルチョコを捨てる発想がない」
「低燃費」
「グルメで惑わされない」
「お酒の席での失態は皆無」
など、「こだわり」を個性にすると、『摂食障害』も悪くないなと思えてきたのです。

あなたが今、『摂食障害』で苦しんでいるなら
「今の自分を否定したい気持ち・行動もOK」にしていただきたいのです。
外出先で、常に洗面所がどこにあるかをチェックする習慣も
日に何度も体重計にのる習慣も
「あ。これも私だよね」と。

お食事会やママ友とのランチで死にたくなるほど辛くなるなら
欠席して。
「食事を囲んで和気藹々とコミュニケーションをとれない私」に絶望なんかしなくても大丈夫。
たくさんの人とコミュニケーションをとる機会より
「これも私なんだよね」と、カミングアウトできる人と ひとり出会えたら幸せ。

この人の前では
「もう、取り繕わなくていいよね」
と思える自分に会えたら
そのときそばにいる人は、あなたを救ってくれる人ではないでしょうか。

その人と一緒にいて楽しければ、コンビニのおにぎりも楽しくなってくるかもしれません。

何を食べたかではなく
楽しくいただけたか。

そんな機会を重ねてゆく過程で『摂食障害』と仲良く付き合ってゆけるときがやって来るかもしれません。

あなたに『チロルチョコ』を簡単に捨てる気質があれば、こんなに悩まなくて済むのですよね?
「先輩の厚意を反故にするのが申し訳ない」という気質があるからこそ、苦しいのですよね?
その気質もあなたの「個性」のひとつだとすれば、それは尊い気質ではないでしょうか。

タロットで
自分のイメージする「私」と
他者がイメージする「私」を
客観的に見ることで、あなたの側面のひとつ「個性」を認めていただけたら幸いです。

見え方・捉え方を180度変えてみて
「今日の私、なんか好きかも」
と思えたら
その気持ち
大切にしてください。

あなたの
「今日の私、なんか好きかも」
の回数が、少しづつでも増えてゆきますように。