「不思議庵主人」と 号された井上円了先生は、東洋大学(東京都文京区)の創始者であるとともに、哲学堂公園(東京都中野区)を「心を養う公園」として東京都に寄贈されるなど、哲学を誰にでもわかりやすい形で教え、広く人々に浸透するようにと生涯を費やしてこられました。
明治の新しい時代が到来し、日本が近代化してゆく中で、哲学による日本人の新たな「ものの見方・考え方」が不可欠であると考えた円了先生は、西洋哲学を積極的に取り入れながら、仏教思想の中に東洋哲学を発見されました。
また『一切の妖しきものの正体を究明』するため、全国各地の迷信を解明し、除去しようと妖怪の研究をするうちに「妖怪博士」「お化け博士」の渾名で呼ばれるようにもなりました。
円了先生の『妖しきもの』の中のひとつ「卜筮(ぼくぜい)=うらなひ」の調査研究資料が『妖怪学講義』という御本に掲載されています。
『 卜筮は、その種のなんたるを問わず、今日まで民間に伝わるものは、すべて非道理的のものにして、学術上、論ずべき価値あるものにあらず。(中略)これを人事に応用して、即座に未来の吉凶禍福を予知せんとするに至っては、非道理のはなはだしきものなり。ゆえに余は、卜筮排斥論者の一人なり 』
『 卜筮は、昭代の汚点、国民の恥辱なり 』とも、厳しいお言葉で否定されながらも、
しかし
『 ただ余は、人力の微弱なるために、往々取拾選択に迷うことあり、猶予踟蹰(ちちゅう)して決することあたわざることあり。
かくのごとき場合に、卜筮の助けによりて己の意向を定むるは、今後人事の複雑なるに従い、いよいよその必要を感ずべし。
ゆえに、今日以降の卜筮は単にこの一事を目的とし、従来の非道理的に代うるに道理的のものをもってせざるベからず。
しかるときは、卜筮必ずしも排斥するに及ばざるなり 』と、自ら『哲学うらなひ』を創作されました。
『 人、もしこの「新筮法」(哲学うらなひ)を通覧するときには、自然に論理学の骨子を知了するを得べし。ゆえに、これを論理学入門と称するも可なり。すでにこれによりて論理学の一斑を知れば、進んでその学の全豹(ぜんぴょう)を知らんと欲し、さらに進んで哲学の全体を知らんと欲するに至るべし。
諺に、
【牛に引かれて善光寺参り】とあるがごとく、この論法に引かれて、自然に哲学の都城に進入するものなしというべからず。されば、人をして他日必ず、
【筮に引かれて哲学参り】と 唱えしむるに至ることあるべし。
果たしてここに至らば、余が本望を達したるものなり。ゆえに、世の識者がこれを見ていかなる笑評を加うるも、余があえて辞せざるところなり 』
私は、円了先生の『いかなる笑評を加うるも、余があえて辞せざるところなり』という毅然としたお言葉に、幾度も救われました。
様々な笑評、誹謗中傷を受けながらも
自分の行っていることは誰からも非難される筋合いはないと胸を張って言えるほどに、何も誤魔化さずに行動できていること。
これが最高の幸福。
(ブッダの言葉 経集263番)
私はタロットを通じて、この言葉の意味を体感し理解することができたことを幸いに思います。
自然科学や医学技術、科学技術の進歩で、円了先生の研究された『妖しきものの正体』が ほぼ解明された現代においても、なお解き明かせない人の心の不思議。
人の心の不思議「ものの見方・考え方」を養うことが、人が生涯をかけて問うべき課題であると、円了先生は『哲学うらなひ』を通じて 真のテーマを語りかけてくださっているように感じます。
タロットもまた科学技術の進歩で、人の力が及ばないほど完璧で精度の高い解読ができるようになりました。
それでも人がタロットを読み解く意味がある限り
人の心の不思議に向き合いつづけることができたなら
それが私の本望です。
著者:井上円了 1858年3月18日(安政5年2月4日)〜1919年(大正8年)6月6日
妖怪学全集 第4巻 2000年3月20日 第1刷発行 「哲学うらなひ」序言
妖怪学全集 第5巻 2000年5月10日 第1刷発行 「迷信と宗教」第61段 ・余論(2)卜筮論:編者・東洋大学 井上円了記念学術センター :発行者・芳賀 啓:発行所・柏書房株式会社
超訳ブッダの言葉 経集263番:編訳・小池龍之介