「最後に逢いたかった他人。
それは、あなたでした」

余命3ヶ月と宣告された
若く美しいAさんが、再入院の前々日に明東館においでくださったのは、昨年の桜の時期が終わった頃でした。

「来年の桜は見ることができないのです」
そう語るAさんは、自らの生命に向き合う時間として明東館のタロットをお選びくださいました。

「その人の幸せそうな姿を想うだけでうれしくなってくるような人」
「その人に相応しい自分でありたいと思える人」
「その人と一緒にいるときの自分が大好きと言える人」

『 それは、あなたでした 』
この言葉を使うとき、それはきっと大切な人。

Aさんの胸のうちに浮かぶ人達を想いながら
タロットを一枚一枚を読みあげました。

「あのとき会ったのが最後だったのか」と
後から気付いたとき
「大切な人に伝えておきたかった言葉があったのではないですか?」
とお尋ねしました。

しかし
Aさんは
「私を忘れないでとは言えない。
私が忘れないでいるだけでいい」
とお答えされました。
そして
「最後を自分で選べることは幸せ」
とも語られました。

「初めての記憶は、祖父にアイスクリームを買ってもらった日のこと。
初めて誰かに恋した日
初めて車を運転した日
初めて出勤した日
初めて子供を授かった日
…それから
最後に桜をみた日
最後に恋した日
最後に出勤した日
最後に歩いた日…
…最後に子供に… 」

Aさんは
初めての日と最後の日
どちらも鮮明に思い出せる贅沢を獲得したように笑って「人生で最後に逢いたかった他人。それは、雅己さん、あなたでした」と言われ、やにわに次の言葉を繋がれました。

 「また来ます」

 「また逢えるけ。なあや」

 わざと備後弁で
それはあたりまえで、叶うことを疑わない無頓着さで雑な返事をした私。

 桜が咲き始めて
Aさんに逢える気がして、近所の中学校の桜を見上げる塀に沿ってゆっくり歩いてみたりしています。

最後に私を選んでくれた人
『 それは、あなたでした 』
この言葉を使うとき、それはきっと大切な人。