「あのとき会ったのが最後だったのか」と、後から気付くことがあります。

アッコちゃんは、20195月『福山ばら祭り』明東館の出店会場まで、おいでくださいました。
人見知りの彼女が、会場のドアを、ひとりでそっと開いた瞬間の可愛らしさ。
その日が、私の人生で
彼女と過ごした
最後の一日になりました。

「またね」と
明るく手を振って別れて
前を向いて何歩か歩いて
振り返ったら
まだ、彼女は手を振ってくれていて
私は
駆け戻って
もう一度
手を握ればよかったと
後悔の気持ちがわいてきます。

誰かの
姿が見えること
声を聞けること
香りを感じること
触れること
語りあえること
今さらそれが、どれだけ貴重であるか知るのです。

私は、彼女と、何かもっと語り合いたかったような気もするし
しかし、彼女は自分の人生を、精一杯生きたのなら
私が悲しむより
彼女の可愛らしい姿を
忘れないでいることのほうが
うれしいのではないかと思うのです。

私たちのいる此岸(しがん)を、彼女は向こう岸から見ていてくれるのでしょうか。
それならば彼女に、私たちの幸せそうな姿をみせることが、せめてものプレゼントなのかもしれません。

タロットの「生と死」を司る札には、流れる河が描かれています。
「人は二度と同じ河に入ることはできない」ことを意味し、人生は常に変化し、変わり続ける無常を説いています。

誰かと出会えることは
奇跡のような確率だけど
離れてゆくことは必然。
河の流れに乗った小舟が、それぞれ
中洲で分かれ
流木で留められ
岩に阻まれて
合流する一瞬があって
また離れてゆく。
そうして
向こう岸へと流れついたとき
再会できる希望も、説かれています。

長い年月のなかの
一瞬を
アッコちゃんと共有できたことは
私の大切な宝物。

そう遠くない未来
私も向こう岸に流れついて
アッコちゃんを探すでしょう。

そのとき、可愛らしい姿のままのアッコちゃんを見つけて、軽くジェラシーなんかしながら、駆け寄って、手を握って「あのとき会ったのが最後だったね」と言えたらいいなと考えています。

「あのとき会ったのが最後だったのか」と思える人。
それは、きっと大切な人。

 

LEFT BANK(左岸)』高橋幸宏:「EGO19881116日発売:EMIミュージックジャパン