「さあね。忘れちまったよ」
せんの一言に
彫留は応えます。
「忘れちまったと言えるってことは、忘れていない証拠なのさ」
小説『肉体の門』は、終戦後初のベストセラーになり、映画化は現在までに5作品が製作されています。各作品には、監督や脚本家によりディテールに違いがありますが、五社英雄監督作品では、肉体と精神の一致しないジレンマを、女性たちの永遠のテーマとして取りあげています。
恋愛において
肉体と精神が一致しない
曖昧な関係を続ける女性たちを、私はたくさん拝見してきました。
女性たちは一様に
「彼の気持ちがわからない」
「私は都合のいい女」
「肉体関係を持たなければ、男性をつなぎとめることができない」
と語られます。
曖昧な関係に
いたたまれなくなって
「私は、あなたにとって何なの?」
と言質を取ろうとされる。
言質を取ろうとされても
はぐらかされ
曖昧な関係だということを
思い知らされるだけに終始します。
しかし
ふたりの関係を、はぐらかされて傷付くのは、誰かに対する想いが本物で大切なものだからではないですか?
せんも、伊吹に言質を取ろうとして言葉をのみ込んだシーンがあります。
それは、相手にどう思われていようが関係ない。
「他でもないこの私が、愛しているのだから」というスタンス。
せんにも
泣きたい日はあったし
嫉妬で眠れない夜もありました。
それでも
「私が、愛しているのだから」と自分に言える日が来れば
「さあね。忘れちまったよ」と
自分のほうから忘れるイニシアチブ(主導権)を握ることができます。
そうなれば、相手に対して
「私を忘れないでほしい」
「私を思い出して」
という期待や依存はなくなってきます。
せんのように
「私が、忘れないだけでいい」
というスタンスで
「私が」を
主語にできるようになった女性は
余裕があり自律しています。
女性たちの永遠のテーマ
肉体と精神の一致しないジレンマは
「私が」を
主語にすることで
克服できると
せんは時代を越えて
すべての女性に語りかけてくれるようです。
映画『肉体の門』1988年4月9日公開 監督:五社英雄・製作:東映京都撮影所・配給:東映『肉体の門』著者:田村泰次郎 ・発行所:風雪社・発行日:1947年5月初版発行/新潮文庫・角川文庫・ちくま文庫