「ライバルだと思っていても、相手にされなければ、ただの憧れになる」

例えば私が、女優の平手友梨奈さんのことをライバルだと思って、誹謗中傷をSNSで書き散らかしたとしたら、それは愚か者になるだけです。
そもそも、同じステージにも立てていない者が何かを言っても、平手さんは相手ができません。
平手さんを、論(あげつら)えば論うほど、「私は、平手友梨奈さんに憧れている」ことを公言していることと同じなのです。

私たちは
表裏一体の「嫉妬と憧れ」を、女優で例えると理解できるのですが、友人や同僚の、いわゆる「ライバル」になると、わかりにくくなります。

「恋のライバル」=恋敵になると、もっとわかりにくくなります。

あなたは、恋敵の欠点を
「だって、彼女ったら、約束や時間にルーズなんですよ」
「だって、彼女はアプリで知りあった男性と浮気してるんですよ」
「だって、彼女はあざといんですよ」
「だって、彼女は電車で席なんか譲りませんよ」
と、彼に暴露したいと仰います。

わかります。
相手の評判を落として、自分の評価を上げたくなるのは、私たちが社会を生きるうえで、必要な知恵でもあります。

しかし、暴露とは
「私は、彼女のことが羨ましいんです!」
「私は、嫉妬しているんです!」
「私は、彼の恋人というポジションが欲しいんです!」
と、絶叫していることと同じなのです。

そんな、みっともない姿になることを、私はあなたにさせたくありません。
彼女を審判するのは、あなたではありません。
彼が、彼女を審判するのです。

その審判の、判断材料になりかねない暴露話(ゴシップ)を、あなたがわざわざ運んで差し上げるのは、避けてほしいのです。
あなたが運んでくるゴシップは、彼にとって「聞きたくない話」のはずです。

「聞きたくない話」は
イングランドの古い言い回しで
「蛆のたかった犬の死骸を運んでくる人」と呼びます。
あなたが、ゴシップを運んでくる姿は、まさにそう形容されてしまうのです。

恋敵の評判を落として、自分の評価を上げたようにみえるのは、実は相対値という錯覚で、あなたの実力そのものが上がったわけではありません。

そんなことに時間を割くなら、自分の絶対値を上げるための時間に費やしたほうが、よほど建設的です。

絶対値を上げるとは、あなたが、あなた自身のスキルを上げること。
恋敵を反面教師にして
「私は、約束や時間を守ります」
「私は、浮気しません」
「私は、飾り気なく振る舞います」
「私は、電車で席を譲ります」
で、よいと思います。

あなた自身の
絶対値が上がれば
「彼女をライバル視するほどでもなかった」
「素敵な彼でもなかった」と気付くかもしれません。

タロットには「ライバル争い」を意味する札が、複数枚存在します。
嫉妬のエネルギーを
「向上心」
「切磋琢磨」
「目標」
「憧れの姿」
などの原動力に変え
私たちが次のステージに進めることを説いています。

「ライバルだと思っていても、相手にされなければ、ただの憧れになる」とは
逆説的に
恋敵が、あなたのことを誹謗中傷しても、あなたが相手にしなければ、それはただの憧れになるということです。

あなたが次のステージに進めば
他者を誹謗中傷する人
ゴシップを運ぶ人
ゴシップを喜んで受けとる人が
「どんな姿か」みえてくるでしょう。

あなたは
大好きな彼に
そんな
みっともない姿を見せたくないはずです。
あなたには
颯爽とした姿でいてほしいのです。

あなたの
颯爽とした姿を
周囲が認めれば
自ずと彼も
認めることになるでしょう。

何よりも
あなた自身が
「自分を認める」
爽快感を味わうことができるでしょう。

そうなれば
彼に気に入ってもらおうという
算盤ずくの人生ではなく
彼の見ていないところでこそ
親切・丁寧に生きてゆこうと思えてきます。

「ライバル争い」から派生する
嫉妬のエネルギーを
憧れの姿に変えるためには
「自分が何に嫉妬しているのか?」を
理解する必要があります。

タロットで
あなた自身の姿を
客観的にご覧いただき
次のステージに進めるよう
お手伝いできたら幸いです。

 

写真:『KEYAKI REPUBLIC 2017』POST CARD
2018 Sony Music Records