十六夜(いざよい)は、満月の翌日。
次の満月まで28日間いちばん長く待たされる日です。
私たちは
何かを
誰かを
待つとき
それが叶った瞬間に幸せを感じることができます。
◆「待つ」ことを『緊張』のストレス
◆「叶った瞬間」を『解放』の安堵
と言い換えれば、もっとわかりやすくなります。
『緊張』と『解放』このふたつはセットです。
日常で例えれば
「バス停まで遅れそう(緊張)」→「到着した(解放)」
「バスが来ない(緊張)」→「来た(解放)」
「渋滞で新幹線の発車時刻に間に合わない(緊張)」→「間に合った(解放)」
というふうに
1日のうちで
◆『待ち時間』(緊張)と
◆『叶った瞬間』(解放)の比率は
圧倒的に『待ち時間』が多いのです。
そして
何かを達成したり
何かを終了した
次の瞬間には
新しい『待ち時間』が続くのです。
これを、人の一生の時間に置き換えてみたらいかがでしょうか。
「彼のLINEの返信を待つ」
「遠距離の彼と会える日を待つ」
「クライアントのOKを待つ」
「学校に戻れる日を待つ」
「工事の完成を待つ」
「病気の回復を待つ」など
数時間で叶うこともあれば
叶うまで、数年の時間を要するものもあります。
タロットの『待ち時間』の札は
停滞
キャンセル
遅延
など、さらに私たちが意図しないアクシデントに見舞われることも意味します。
この『待ち時間』を、どのような心持ちで過ごすのか?
「イライラして過ごすのか?」
「穏やかに過ごすのか?」
「工夫して過ごすのか?」
「いい予感を持ちながら過ごすのか?」
『待ち時間』で、私たちの人生が形成されていると言っても過言ではありません。
私は、父が旅行代理店業務に従事していましたので、交通機関の乱れについて敏感な子供でした。
《台風で東海道新幹線が運休》になったテレビのニュースを見てこっそり泣くような、めんどくさい子供でした。
どうして泣くかというと「運転手さんがかわいそう」という理由でした。
潜在的に交通機関の乱れが父の業務に多大な影響を与えることを危惧していたのかもしれません。
システマティックに管理されているものでも、人が関わっている以上、それが叶わないこともある。
それならば、「関わっている人を労いましょう」という程度の気持ちは芽生えていたのだと思います。
大人になって
「別に、新幹線の運転手さんのせいで東海道新幹線が運休したわけではない」ことはわかったのですが、この運行業務に携わる人に想いを寄せることが、案外『待ち時間』を穏やかに過ごすことができる効果があるのではないかと思うようになりました。
誰かに想いを寄せること
労うことで
その『待ち時間』を、少なくともイライラしないで穏やかに過ごすことができるのではないでしょうか。
『待ち時間』が人生を形成するなんて、味気ないなとタロットを読み始めた頃はぼんやりと考えていました。
今は『待ち時間』こそが人生なのだと、そう思えるようになりました。
十六夜は、満月の翌日。
次の満月まで28日間いちばん長く待たされる日です。
しかし、叶うまでの楽しみがいちばん多い日とも言える日なのです。
せっかくなら、いい予感を持ちながら過ごせたらと思う今夜です。