映画『PROPAGANDA』は、評論家の方々によって
「ナチス演壇といった趣のステージセットから、メンバーが登場するシーンは苦笑」
「YMOがあまりにも神聖化され、疑問符がつく」
「メンバーもスタッフも(軍服は)洒落のつもりだったのではないか」
「YMOを永遠のヒーローとして崇め立て、かつシャレの解らない一部の”YMOマニア”を生み出す要因になった」
と評されています。
なるほど。
私は「YMOを永遠のヒーローとして崇め立て、かつシャレの解らない一部の”YMOマニア”」として揶揄される対象なのでしょう。
評論家の方々が「洒落」の一言で済ませようとした『イコン(神聖化の象徴)』について、シャレの解らない一部の”YMOマニア”として感想を述べさせていただきます。
1984年(昭和59年)4月18日
YMO散会を記録した映画『PROPAGANDA』が、東京渋谷公会堂で封切られた後、全国109ヶ所で7月31日までサーキット公開されました。
映画『PROPAGANDA』は
タイトル
舞台
演台
衣装
すべてが「ナチス・ドイツ軍を明確にイメージできる設定」でした。
私がそれを「美しい」感じたのは紛れもない事実です。
そして、私は「理性が本能を曇らせる」ということも、同時に知るところとなりました。
私にとっての
映画『PROPAGANDA』は
「ナチス・ドイツ軍を明確にイメージできる設定」を目の前に提示されて
音楽を
『理性で聴くのか』
『本能で聴くのか』
試された作品です。
私は映画を鑑賞しながら
『ナチス軍服』に付随しているいくつかの”記号”を思い浮かべました。
“記号”とは
『軍服』そのものが持っている意味(デノテーション)=「所属部隊の制服・戦闘における機能を備えた制服」ではなく
『軍服』が持つ別の意味(コノテーション)=「戦争・ホロコースト・ヒトラー・親衛隊・狂信」です。
コノテーションは、受け取る側の人間がどう感じるか千差万別で、統一できません。
『軍服』から
「安心」を得る人もいれば
「不安」を得る人もいるからです。
ナチス・ドイツ軍を明確にイメージできる軍服を着て演奏をするYMO。
その音楽を聴くとき
「坂本龍一のピアノ演奏は東京芸大卒だからいい」と思いながら聴かないように
「ナチス親衛隊のピアノ演奏はダメ」と思いながらは聴かない…
「え?
私、ほんとうにそう思ってる?」
「作者・演奏者が尊敬できない人物なら、音楽もダメってことないよね?」
急に不安になり
音楽を
『理性で解釈して聴くのか』
『本能で先入観なく聴くのか』
映画『PROPAGANDA』の上映中、ずっとそれが気になって『軍服』に全て持ってゆかれた90分でした。
今なら、先入観なく本能で
「音楽を楽しんで」と言えるのですが。
YMOの音楽は
人の気配を消し
人の代わりに
コンピュータで演奏する音楽が
「大衆にどれだけ受け入れられるか」という細野晴臣氏の実験だったと通説です。
このことから私は
「作者・演奏者の咎は作品に影響しない」という結論を導き出しました。
ナチス親衛隊のピアノ演奏で感動することも当然あるし、罪を犯したミュージシャンの作品に罪はない。
『イコン(神聖化の象徴)』である『軍服』についても、デザイナーの意匠が知恵と技術の結晶だとフォーカスすれば
「世界一美しいデザイン」と、迷いなく言えます。
その作品がどのように使用され
どのように解釈されるかは、受け取る側個人の問題でしかないのです。
さらに、それを自分で納得させるための「言い訳めいたロジック」も必死で考えてみました。
例えば、ナチス・ドイツ軍が関わって軍事開発された作品の中に、BMW・メルセデス・フォルクスワーゲン等、自動車があります。
これらを「ナチス・ドイツ軍が関わっているものだから購入したくない」と思う人は、購入しなければ済むこと。
『スマホ』(当時はマイクロコンピュータ)も然りで
原子爆弾開発のため、マンハッタン計画で開発された『ノイマン型コンピュータ』を作動原理とする商品は一切使いたくないのなら、スマホ捨てるだけ。
17歳の女子高生で、すでにこの こじらせよう。
「シャレの解らない一部の”YMOマニア”」は
『軍服』ひとつとっても、これだけこじらせるのです。
揶揄されるのも納得です。
しかし
この、こじらせようがなければ、今の私はないですし、客観的に見て、17歳の女子高生にこの執着心を芽生えさせたYMOの存在は、崇めるに価する存在です。
YMOを『イコン(神聖化の象徴)』として生きることも
「洒落だと解らなく、ムキになって、必死になってる自分」も嫌いではないです。
映画『PROPAGANDA』のメッセージ:
『時として、言葉でものを伝達するには、現実があまりに複雑になってしまうことがある。
伝説がそれを新しいかたちにつくり直し、世界に送りとどける 』
私なりに意訳すると
『言葉で伝わらないものでも
音楽でなら伝わる』
映画『PROPAGANDA』の意訳は、観客のコノテーションの数だけ存在するのではないでしょうか。
評論家の方々の意訳もそれぞれにあるはずです。
きっと、シャレの解らない一部の”YMOマニア”を黙らせるだけの説得力を持ったものだと拝察いたします。
そのような機会があるとするならぜひ、拝聴したく存じます。
『PROPAGANDA』1984.04.05 発行人:大蔵博・発行所:株式会社ヨロシタミュージック
『COMPACT YMO』1998年4月20日初版・発行人:徳間康快・発行所:株式会社徳間書店