「曖昧な関係」と言われて傷付くのは、あなたの誰かに対する想いが本物で大切なものだからではないですか?
いわゆるセフレ・セカンドという立場から、本命の彼女になり、幸せな結婚へと進まれたカップルを少なからず拝見してきました。
その女の子達の行動と心の持ちかたに共通しているのは
彼に居心地のよい環境を提供し
彼に不都合なことは問わない。
彼が恋人と楽しいデートの様子をInstagramでアップしているのをみて大泣きしても、その片鱗もみせない。
「私はあなたの何なの?」「私のこと好き?」という言質をとらない。
「あなたの幸せがなければ、私の幸せはない」
と、本心から願い
「あなたが幸せなら、相手は私じゃなくても構わない」
という、見返りを求めない、純粋な想いを持っている。
そういうスタンスの女の子は、本命の彼女になってゆきます。
このスタンスを「都合のいい女」と呼ぶなら、私は「都合のいい女」こそ尊敬すべき忍耐の人なのだなと思うのです。
忍耐の人である女の子達も、「曖昧な関係」を始めた当初は
相手の男性から
「求められたら断れない。
求められるとうれしい。
求められなければ自分に価値がないと落ち込んでしまう」
と、彼から求められることで、自分の存在価値を確認している様子が伺えました。
そこには自分の意志はなく「流される」ままの姿がありました。
そして
「都合のいい女だと思われたくない」
「遊びだと言われたくない」
と、相反するキーワードを口にされていました。
この相反するキーワードから
ご自身の身体を
「許してしまう」
「与えている」というふうに
自らを犠牲にしている側面があったと拝察できます。
それは、「彼は自分を苦しめる敵」のように感じ、自分は被害者だと感じるときもあったということでしょう。
しかし
タロットは、女の子達に問いかけます。
「彼に苦しめられている?本当にそうでしょうか?」
「あなたは彼が大好きなのですよね?」
真夜中のLINEにもすぐ返信したくなるし
終電が終わってからの「迎えにきて」には、速攻で車を出すし
目の前に彼があらわれたら、うれしくて泣きそうになるのですよね?
タロットで
《セフレ・要注意》の警告の札が出ていても
《〜してはいけません》と告げられていても
「もう、そんなのどうでもいいと思えてしまった」
それが答えではないでしょうか?
人が恋するとき
「警告が出たから、はい。やめておきます」とはゆかないものです。
タロットには
「側室」
「愛人:ロイヤル・ミストレス」
「二号」
など、正室ではない立場の札があります。
先の、セフレから本命になり、結婚へと至った女の子達は、この「側室」「愛人」のメッセージを、自分なりに一所懸命に解釈して、自分にどのように当てはめるか模索されていました。
「側室」「愛人」の札は、自分の才能を知らなければ務まらないことを示唆しています。
若さや美貌だけでは決して務まらない、非常に厳しい狭き門です。
自分の才能を知るとは、自身のあらゆる可能性を信じて、自分を大切にすること。
現実の世界では、ヘンリー8世の愛人 アン・ブーリンがイングランドの王妃になったように、
物語の世界では『源氏物語』明石の姫君が《冬の町》の主に迎えられ「冬の御方」の位を授かったように、
側室や愛人のありかた・スタンスは、時代を超えても普遍的な姿がみえてきます。
男女同権の時代に、時代錯誤も甚だしいと感じられる方がいらしゃるのは重々承知しています。
しかし
女の子が自分の才能を知り
自分を大切にするということは
妊娠の可能性など
自分を大切にすることが「どういうことかわからない」うちは、身体を大切にするということが理解しにくいということ。
「許してしまう」
「与えている」というふうに、あなたの身体を犠牲にして、男性の気を惹くための餌のように扱っているうちは、あなたの自尊心をどんどん傷付けてゆきます。
私は、餌なんかではなくて
「私が大好きだったから、そうした」と言えるあなたになってほしいのです。
「自分の意志でそうした」
「自分の意志でそうしなかった」
そう言える女の子になってほしいのです。
「自分の意志で、アンのように振る舞う」
「自分の意志で、明石の姫君のようなスタンスでいる」と決めたなら、私は、それをご自身が納得するまで極められてよいと思います。
恋が成就しなかったとしても、あなたが
「この恋を見極めた」
と、思えるまで、
自分の才能を全て発揮し
できることは全てやり尽くせば
「時間を失った」でもなければ
「無意味」でもなかったはずです。
その恋を見極めた日には
「流される」ままの姿ではなく
被害者ではなく
「自分の意志でそうした」
「自分の意志でそうしなかった」と、堂々と言える女の子になれると、私は信じています。
客観的にみれば「曖昧な関係」には変わりないのかもしれません。
しかし、先の女の子達の心の持ち方は180度変わっています。
相手に依存するのではなく
振り回されるのではなく
流されるのではなく
「私が」と、言える女の子は強い。
「曖昧な関係」でも
会える時間が《自分とって貴重》だと気付けば
「ケンカなんかしてる場合じゃない!」
「他の女の子の話題を出してる場合じゃない!」
「スマホ触ってる場合じゃない!」
と、自然にふたりの会える時間を贅沢なときに変えてゆかれました。
決して、何者かを装ってるわけではなく「私が」が主語。
そんな女の子を、男性が放っておくのは難しくなってきます。
タロットの警告を捨てても会いたいと思った。
それは、あなたの誰かに対する想いが本物で大切なものだからです。
どうか、「私が」を主語にした
あなたの純粋な想いを大切にしてください。
『ブーリン家の姉妹 』上巻 下巻 2008年9月25日 第1刷・著者:フィリッパ ・グレゴリー 訳者:加藤洋子 発行所:株式会社 集英社
DVD発売元:ブロード・メディア・スタジオ 販売元:ポニーキャニオン2009.04.01