『 他人の欠点を暴けば気持ち良いので
他人の欠点は見えやすいけれど
自らの欠点を暴けば プライドが傷つくので
自らの欠点は 見えにくい

他人の欠点を大袈裟に暴きたてる人は
それによって 自らの欠点を覆い隠す

ギャンブラーがギャンブルでサイコロの悪い目を隠して
イカサマをするように 』
(ブッダの言葉:経集 252番)

ある出来事や特定のキーワードに引っかかってしまうのは
「その欠点に無意識に執着してしまっているから」
だと、説かれています。

学歴・職種・肩書き・資格・賞与
美容・ファッション
若さ・健康
恋愛・結婚・不倫関係
家族・人間関係・人脈
財産・不動産・血族
スポーツ・芸能・芸術の才能
趣味・嗜好品・ギャンブルに至るまで
私達はそれぞれに大切にしたいものがあります。

それに執着するあまり
自分の正義の物差しで他者の批判をすると
自身に怒りの感情を芽生えさせ
◆自分が潜在的に持っている欠点(または欲望)が 強まってしまう。
◆また「私はその欠点(または欲望)を持っています!」
と、わざわざ宣言するようなものになるという解釈です。

「他者の欠点を批判する自分って、ここに引っかかっていたんだな…」と、
自己内省できるようになれば
怒りの感情ではなく
例えば
(私は体質的にお酒を飲めないのですが)
OL時代の
『合コンで初対面の男性とお酒を飲むなんて 隙だらけだよね?』
という、批判の裏側には
『本当は、お洒落なBARで素敵な男性と一緒に楽しい時間を過ごしたい欲望があったんだな』
『お酒が飲める女の子を羨ましいと思っていたんだな』
と、客観的に自分を俯瞰できるようになります。

そして、逆もまた然りで
あなたを(SNS等のコメントも含め)批判する人がいたとしても
あなたが怒りの感情で消耗してしまう必要はないのです。
ほんの少しの想像力で
「この人はなぜ、そこに引っかかっているんだろう?」
と、その人の背景を思い浮かべて差し上げ
慈悲の気持ちを持つだけで
あなたへのダメージは避けられ
美しく振る舞うことができるのではないでしょうか。

他者を批判することが
まさか自分の欠点や欲望を宣伝していたことになっていたとは驚きです。

相手のためだけではなく、自分自身のためにも
怒りの感情ではなく慈しみの心が持てるようになれればと感じている今夜です。

 

(参考文献:中村 元・岩波文庫「ブッダの言葉:経集 252番」)
(写真:哲学堂公園 「哲学の庭」ワグナー・ナンドール)