Everything will be fine.
「きっとうまくいくよ」

『柳花堂』木村店長様は
右手をご自身の左胸にあて
腰をかがめ
不思議なお辞儀をされました。

2013年03月15日
『柳花堂』閉店1ヶ月前のエピソードです。

その前年の10月。
私はなぜか、どうしても『柳花堂』のタロットを手に入れなくてはならない焦燥感を抱いて上京し、新宿3丁目の『紀伊國屋書店』まで足を運びました。

そこで、タロットを購入し
なぜか
まだ何も決まっていないにもかかわらず
木村店長様に
「私、広島でタロットのお店開きます!」
と宣言した自分がありました。

その5ヶ月後
明東館をオープンし、再び
木村店長様に
「私、広島でタロットのお店開きました!」
と報告する自分がありました。

木村店長様は
「広島ね。僕は三次市に友達がいるのですよ」と、気さくにお応えくださり、領収書を発行された後、通路までお見送りしてくださいました。
そこで、先の
不思議なお辞儀をされ
握手をしてくださったのです。

そのシーンは
写真にも動画にも
何も残っていないのですが
そこだけスローモーションのように
切り取られ
鮮明に思い出すことができます。

『柳花堂』は
終戦後間もない1948年(昭和23年)開業の、カード・プロマイド等を扱った日本で唯一のタロット専門店です。
店舗は、東京新宿3丁目『紀伊國屋書店』のフロアの一角に構えられ、2013年(平成25年)4月15日まで、65年ものあいだ歴史を刻み続け、多くのファンに惜しまれつつ閉店しました。

◆GHQの占領下にある日本
◆有楽町の辻占い師
◆戦後書店建築の白眉『紀伊國屋書店』
◆GHQ総司令部本部の第一生命館
◆新橋の闇市
◆『肉体の門』のボルネオ・マヤ
◆GHQに接収された東京宝塚劇場(宝塚会館)

『柳花堂』がオープンした時代背景や経緯を想像すると、私は心が締めつけられるような思いになります。

当時、日比谷に本社があった共同通信社勤務のF氏が
「有楽町の辻占い師は、驚くほど身綺麗だった」と語られていたことから
タロットは
終戦後GHQの娯楽として持ち込まれ
本部が置かれた丸の内から近い
有楽町界隈で辻占い師が生まれ
その後
市民に浸透していったと想像されます。
終戦後わずか2年でオープンした『柳花堂』に私は驚くとともに、娯楽に寄せる市民の期待と好奇心は大きかったとも想像するのです。

そういった歴史の断片や
数え切れない人々の想いが交差した
『柳花堂』
『有楽町』
という場所を想うとき
私は、そこを聖地のように感じるのです。

明東館のオープンを
聖地である
『柳花堂』にご報告できたことは
奇跡のようであり
必然だったような気もします。

「タロットなんてどこで買っても同じ」とは考えなかった。
「ここで絶対に買いたいタロット」と考えた。
その執着心とこだわりを持てた自分に
今は自分が励まされています。

その、励ましの言葉は
Everything will be fine.
「きっとうまくいくよ」

この一言を聞けたこと
この一言があったからこそ
なんとか今日一日を過ごし
明日に繋いでゆくことができました。

そして叶うなら
いつか
有楽町のガード下で
辻占い師として
街ゆく人に埋もれてみたいと願うのです。

 

『柳花堂』:東京都新宿区新宿3丁目17番7号 紀伊國屋ビル1階・昭和23年(1948年)開業-平成25年(2013年4月15日)閉店。

『紀伊國屋書店』:昭和2年(1927年)1月22日 田辺茂一が個人営業で東京新宿3丁目に創業。昭和22年(1947年)5月 前川國男設計による木造二階建て店舗新設。「戦後書店建築の白眉」と評価される。

『共同通信社』:1945年(昭和20年)11月1日 同盟通信社の解散を受け、社団法人共同通信社・時事通信社が設立される。共同・時事の両社とも東京日比谷公園の市政会館に本社を置いた。

『GHQ』:連合国軍最高司令官総司令部(General Headquarters, the Supreme Commander for the Allied Powers)