「 何千回、何万回 と聴いてるはずなんだけど
聴くたびに新しい発見がある 」

32年振りに再会した高校時代の友人と
YMO(Yellow Magic Orchestra)1981.10.21発売
「テクノデリック」について交わした会話の中での
友人の一言が
私の長く迷っていたことに答えを出してくれました。

私は楽譜が読めませんが
楽譜には 作曲家の
「いっぱい伝えたいこと、語りたいこと」が
音符や記号に込められていて
心のこもった手紙のようなものではないかと感じていました。

タロットもまた
作家の
「いっぱい伝えたいこと、語りたいこと」が
絵札に込められていて
終わりのない物語を読んでいるようでした。

作者の意向を尊重して
楽譜の音符や記号を
忠実に読み解く演奏者のように
私はタロットの解読を慎重に受け止めたいと心がけてきました。

演奏者が 楽譜(作曲家)を無視して
勝手に作曲して演奏しないのと同じように
私個人が
タロットを勝手に解釈して提供することはありません。

しかし、ここでいつも私が思っていたことは
ピアノの自動演奏のように
完璧に楽譜を演奏することができれば
( AI のように完璧にタロットを解読できれば )
「それが人に感動を与えられるか?」
という疑問でした。

そこに何かが加味されて初めて感動を呼ぶならば
それが何であるかというと
「わからない」というのが正直な気持ちでした。

知れば知るほど わからないことが増えてきて
知っていると言えなくなる恐怖と
葛藤の日々で
そもそも
作曲家も作家も
人に感動を与えるという目的で作品を作ってはいないのではないかと
いう思いさえ湧いてきました。

そんなとき、友人の
「 何千回、何万回と聴いてるはずなんだけど
聴くたびに新しい発見がある 」
という言葉を聞いて
音楽を聴いてくれる
聴衆ひとりひとりの『 心のコンディションに音楽は形を変える 』
ということに気付きました。

音楽家の 坂本龍一 氏を
「 人の何十倍ものピアノの練習をする 」
と、高橋幸宏 氏が語っておられたことも思い出しました。

「 ただ、音楽を愛して止まない音楽家 」と
「 ただ、その音楽家の作品を愛する人 」がいる。

感動は呼ぶものでも与えるものでもないということ。

自動演奏もAIも、人がプログラミングしたと想像できれば
決して合理性というだけではなく
そこに愛が介在していたことにも気付かされます。

そして
タロットを何千回、何万回読もうとも
作家の「いっぱい伝えたいこと、語りたいこと」の
新しい発見ができる
「ただ、タロットを愛する人」
で いるだけで幸せなのだな
と、感じています。

止まない愛情をタロットに注ぐこと
それだけでいいのだと
今は、これが私の出せた精いっぱいの答えです。

 

写真:YMO(Yellow Magic Orchestra)
1981.10.21発売アルバム・「テクノデリック」
アルファレコード 株式会社
発売元:ビクター音楽産業 株式会社