恋の嫉妬を題材にした文学作品や芸術・芸能は、時代を問わず普遍的なテーマとして今日に受け継がれています。

日本の伝統芸能の能にも恋の嫉妬を描いた曲があります。
妻が、夫の不倫相手に嫉妬する作品では
『鉄輪』(かなわ)という曲が印象的です。

夫を不倫相手に奪われて捨てられた妻が、呪詛(じゅそ)のため丑の刻(午前二時頃)に貴船神社にお参りします。
そこで妻は
「赤い衣を着て
顔を赤く塗り
火を燃やした鉄輪(五徳)を
頭にいただき
怒りの心を持つならば
生きながら鬼になれる」
とお告げを受けました。

能楽観世流人間国宝・大槻文蔵氏は
前半(前シテ)のこの場面では
「嫉妬に苦しむ女性」に使われる
白目が金色の『泥眼』という
霊力を感じさせる能面を使用されます。

妻は、ついに鬼女となり
恐ろしい形相であらわれ
後妻の長い髪を手に絡め
首を引き寄せ、散々に苛みます。

この後半(後シテ)の鬼女の場面では
嫉妬で顔が歪んだ『橋姫』や
角の生えた『生成』の
能面を使用されることが多いそうです。

翻って
女性が、不倫相手の妻に嫉妬する作品では
『葵の上』という曲が印象的です。

光源氏の年上の恋人である六条御息所が
高貴な身分・美貌・高い教養など
全てが備わっていながらも
正妻の葵の上に嫉妬し
生霊となって彼女の枕元に現れ、呪い殺してしまいます。

『鉄輪』も『葵の上』も
心変りした男や、相手の女性を
恨み呪い、命すら奪おうとする
怒りや情念を
超自然的な
「鬼」や「生霊」であらわしています。

超自然的な力を借りてでも
無念の想いを晴らしたい恋の嫉妬は
人を正気に保つことが難しいほどの力を持っていることを『鉄輪』『葵の上』は示唆しています。

恋の嫉妬は
時代を問わず
恋する誰しもが覚える感情です。
時代背景が違っていたとしても
嫉妬に苦しむ女性の苦しい胸の内をお伺いするとき、私は個人的な感情で心が揺れることがしばしばです。

本来、タロットを読むときは、私の個人的な感想や見解はお伝えしません。
しかし
多少、意地の悪い質問だなと思いながらも、あえて私はお尋ねします。

「あなたをそんなに苦しめる男って、そんなにいい男なんですか?」

いい男なら、あなたをそんなに苦しめはしないでしょうし
いい男なら、周りにいる女性を惨めな姿にさせません。
あなたが苦しんで、みっともない姿になればなるほど
私は、その彼がいい男とは思えないのです。

「そんな男は忘れましょう」と言うのは簡単です。
あなたもそうできればどれほど楽でしょう。
それができないから苦しいのですよね?

あなたがそんなにまで苦しんで
彼のことが大切だと想うなら
彼を「惨めな女がついている男」にしないことをイメージしていただきたいのです。

ちなみに『葵の上』で登場する光源氏は
後々、女性たちによって成長させてもらったと私は感じています。
紫の上、明石の君、花散里がどのような振る舞いや態度だったか?

時代錯誤も甚だしい。男尊女卑極まると言えばそれまでですが、今日まで『鉄輪』『葵の上』が支持されているのは、そこに恋愛の教訓があるからだと私は思うのです。

恋の嫉妬で苦しいあなた。
苦しみから解放されるための選択肢はいくつかあります。
明東館で、どうかあなたの苦しい心の内をお話ししてください。